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2024年01月20日

怒るは知恵の行き止まり・・・とあたまかき

怒るは知恵の行き止まり・・・とあたまかき

 「怒るは知恵の行き止まり・・・とあたまかき」は、私の知人の口癖でした。その中でも、最後の「頭かき・・・」という、力の抜け具合が頭に残っている言葉です。

 ハラスメントという言葉が、様々な場面で使われるようになり自身の感情をおもてに表すことに対して気にかけることも多くなってきたのではないでしょうか。

 また、「自分の機嫌は自分でとる・・・」という考え方も一般的になりつつあるなか、アンガーマネジメントという考え方も注目されるようになってきました。

 そもそも、怒りの感情とは動物としての自己防衛本能であり、自然界で身を守るための生存戦略としてもっとも大切なもののひとつです。
 「逃走か、闘争か・・・」という言葉は、危険回避に直結する行動を分かりやすく、表現されていると同時に、現代社会においては自身の生命の危機という捉え方は変化してきていると考える必要もあります。

 現代社会に於いては、幸いにして原始の時代のように、日常的に野生生物から身を守るというような危機意識をもって生活を送る必要が無くなってきたことや、社会情勢の大きな変化などを考えれば、危機意識そのものは、直接的な「身の危険」から、人間関係や社会に対する「不安」のほうが大きくなってきたと考える必要があるのかもしれません。

 「不安」に関する表現のひとつに、「どうしていいかわからない・・・」という言葉があります。
 この「わからない・・・」という不安に対して、様々な感情が沸き起こってくるかと思いますが、その一つが「怒り」なのかもしれません。

 また、世の中には、かつてのブラック校則に代表されるような「訳の分からないルール」が、たくさん残っています。その「訳の分からなさ・・・」に対しても、「自分の力ではどうしようもない・・・」という喪失感とともに、怒りの感情が湧いてくることもあるかと思います。

 また、別の視点で考えれば、自分の中に、明確な解決策や、具体的なロールモデルがあることで冷静に事に当たることが出来るという場面を経験しているかたも多いのではないでしょうか

 自分自身の喪失感によって、周りの人の言動が自分に対する批判に映ってしまうことで、被害者意識によって沸き起こる怒りの感情があるのだとしたら、怒りの感情は、自身のなかで、「万策尽きた・・・」という時に起こる感情と考えることも大切なのかもしれません。

 まさに、「怒るは知恵の行き止まり・・・」です。

 また、そのような状況に陥りそうになった自分の姿に対峙することも大切なことの一つだと思います。

 誰しも、自身のダメなところを受け入れることは難しいことだと思います。

 例えば、照れてしまう・・・、人の目が気になってできない、・・・ということもありますが、平常心を失ってしまうことで、恐怖や不安を感じ何も言えない状況に陥ってしまえば、客観的にみれば、「腹をくくれていない・・・」というように映ってしまうこともあります。

 このような状況におちいってしまわないためには、次の3つの要素が大切だと言われています、

 まず一つ目は、この状況で自分自身が目的に対して、なにをすれば良いのかを知っているということです。よく耳にする、「聞いていない・・・」「理解されていない・・・」という不満や怒りは、目的に対する認知の差によって起きてしまうと考える必要があります。

 二番目は、この状況で自分自身の責任に於いて、どうすれば良いか・・・という判断ができることです。これは、「自分で判断していいんだ・・・」という自認の意識と、周りとの信頼関係にも関わってきます。

 これらの二つは、知識や知恵につながるものになりますので、「知恵の行き止まり」のリスクを明確に表現しています。

 最後が一番大切なのですが、この状況を良くしていこう・変えていこう・・・という意志を行動に転換するチカラで、まさに「やろうとするチカラ」です。

 この三つのひとつでも欠けていると、うまくいかないというのです。

 さらにこの「やろうとするチカラ」も、次の三つの原因によって損なわれてしまうと考えられています。

 一つ目は、「闘争か逃走か・・・」不安や恐怖に対する、本能的な生体反応です。これに対する、対応策としては、肯定的に捉えることで脳をだますことや、ネガティブな反応を事前に認識し、対処方法を準備しておくことだと言われています。

 二番目は、過去の経験などから・・・失敗に対するイメージが先行してしまい行動に移せないパターンに陥ってしまう「ネガティブ思考」と言われるもので、具体的な行動目標に切替えることで目の前の事に集中しやすいとされています。

 三番目は、「自分がどのように見えているのか・・・」という俯瞰的な視点がないことで、自分自身のことを理解できていなかったり、自分自身の強み弱みが解らないために、具体的な対策がとれなかったり、客観的にみると「いつも同じパターンで失敗している・・・」ということにつながってしまいます。

 この俯瞰的な視点の難しさ・・・は多くの方が感じている事なのではないでしょうか。

 「自分を見つめなおす・・・」「自分に対峙する・・・」というような、力強い言葉に惑わされずに、「自分にも、こういうところあるからな・・・」というような、軽い気持ちで、出来ていない自分を認めることからでもいいのではないでしょうか。

 「怒るは知恵の行き止まり・・・とあたまかき」の「頭を掻く・・・」というこの仕草の中にある茶目っ気のようなものに、自身への向き合い方の一つのヒントがあるような気がします。






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Posted by toyohiko at 11:22│Comments(0)社会を考える
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