2017年12月03日
ファミリーサティスファクション(Family Satisfaction)という考え方(Ⅱ)

最近、「子どもの貧困」という言葉を耳にするようになりました。現代の様なもののあるれた社会で、「貧困なんていうものが、あるはずがない・・・」と考える方も多いかと思いますが、昨今では、「食うに困る・・・」というような「絶対的貧困」と、将来にわたって「満足な教育を受けられる状態ではなく、自身の将来に向かって失望感を抱いている」という「相対的貧困」という二つの貧困に区別されていいます。
たしかに「絶対的貧困」は、昭和初期の事態などに比べてすこぶる少ない状態になっていますが、「相対的貧困」という顕在化しにくい状況が拡大しているというのです。
しかも、この顕在化しにくい「相対的貧困」というものに対しては、「外的要因」によるものの影響はあまり評価されず、本人に資質や努力不足というような「内的要因」によってもたらされたものであるという「自己責任論」によって、具体的な手立てがなされていないという状況に陥りやすくなっているという現状があります。
そんな中、J.ヘックマンらの「ペリープロジェクト」を中心に、幼児期に形成される「非認知能力」というものが注目されつつる中、IQや学力などの認知能力よりも、一つの事に粘り強く取り組むチカラや、内発的に物事に取り組もうとする意欲という「非認知能力」の方が、その子の将来にわたっての影響力が大きいということが明らかになってきています。
特に、「非認知能力」は乳幼児期の周りの人間関係を含めた環境に大きく左右することも近年の研究によって解りつつあるのです。
その一つが、2000年代にロシアのサンクトペテルブルグで行われた実験を紹介します。この時代は、ポスト・ソビエト時代として社会や経済が非常に不安定になりロシアで多くの乳幼児が孤児院に入ることになった時期とも言われています。
この実験は、ロシアの孤児院で行われたものです。対象の施設は、十分な食べ物と衣類を与えられ、清潔なベッドや適切な医療を享受することができおもちゃもあったのですが、施設の運営面では、厳しく、人間味に乏しい状況だったそうです。当時のロシアの多くの孤児院では、「子どもたちの食事や着替え、入浴は機械的に処理され、家庭で親との間におこるような、笑いやおしゃべり、アイコンタクトは一切なかった。」とある報告書に書かれているほどでした。
この状況に対して、実験チームは、「もっと心のこもった対応をするよう・・・」教育をしたのです。教育といっても、ただ声をかけたり、笑みを向けたりとたいていの親が本能的に自分の子どもに対してしているようなことです。
しかし、この対象の孤児院は大半の子どもが二歳未満でありましたが、その対応を変えるだけで認知能力や社会性の発達、運動技能に相当の伸びがあったというのです。さらに、身体の発育そのものにまで改善があったというのです。
現在の日本社会において、日常生活が職場環境によって受ける影響は大きいと言わざるえを得ません。
「働き方改革」が叫ばれる中、長時間労働の常態化や、単身赴任という慣習による「親子分離の生活が特別なことでない・・・」と思わざる得ない状況など、制度そのものということよりも、「価値観」という領域でワークライフバランスからは、程遠い状況にある人たちが、数多く居るというのが現状といわざるを得ないのです。
「企業戦士」という言葉がありますが、企業の社会的な役割としては、直接かかわる人たちの家族の幸せについて経済的な面だけではなく、多面的なアプローチをしていく責任が求められてきたのではないのでしょうか。
少子高齢化といわれ、人口減少による経済の縮小も危惧されるなか、・・・多くの企業が、子どもを取り巻く環境に今一度目を向け、「人の非認知能力の向上」にたいして、出来うる具体的アプローチをしていく必要が出てきたのではと思います。
Posted by toyohiko at 08:46│Comments(0)
│社会を考える