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2024年08月09日

自然との関わり方をあらためて考える

自然との関わり方をあらためて考える

 コロナ禍の生活スタイルの中で、ソーシャルディスタンスという言葉がよく聞かれたのは記憶に新しいかと思います。そのような中、キャンプや釣りなどのアウトドアに関する楽しみ方に注目が集まり、「この機会に始めた・・・」などという方も多いのではないでしょうか。

 「不要不急の外出を控えましょう・・・」という状況の中、多くの人がそのような状況を続けるのではなく、工夫した結果が、自然環境に身を置く・・・という選択につながったのだと思います。

 そして、それが、リチャード・ループ氏が提唱した、「自然欠乏症候群」という考え方にもつながるような、行動変容のひとつだったのかもしれません。

 リチャード・ループ氏は、ヒトが社会生活の中で、自然と遠ざかることの身体的リスクという視点から警鐘を鳴らしてきました。

 その多くは、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚と言われる五感の衰えによる怪我や事故に対する対応力に関するものだったかと思います。長い人類史の中で培ってきた、五感を通じての自然との関わりを考えれば確かにそうなのかもしれません。

 その一方で、ヒトが社会的動物である以上、五感も含めて身体が順応していくチカラも大切ですが、同じ種であるヒト同士の関わりである社会性という視点で考えてみることも必要なのではないでしょうか。

 確かに、人類は道具を使うことで大きな進化を続けてきましたし、文化や文明も培ってきました。
 しかしながら、技術や学問の進歩とあいまって、自然という空間に自身が身を置いた状況を考えた場合においても「何もかもが、お膳立てされている状態・・・」になりつつあります。

 この「お膳立て・・・」には、便利な道具もあれば、場所を選ぶことの無いよう進化した食べ物などもその一つなのかもしれません。

 その「お膳立て・・・」があることで、自分が置かれた環境のなかで、「身の回りのあるものを利用して乗り切るチカラ」という、社会的に大切なチカラを育む機会からは、現代の日常生活の中ではどうしても遠ざかってしまいます。

 例えば、「電卓があるのに何故、算数を勉強しなければならないの・・・?」や、「スマホの自動翻訳機能を使えば良いのに、なんで英語を勉強しなければならないの・・・?」という問いと同じのように、あることが前提として、思考を巡らしていることに次第に気付かなくなっていることは無いでしょうか。

 子どもの遊びも同じです、場所や道具をはじめとする様々なものを、周りの大人がお膳だてしてしまえば、人工的な環境下で遊んでいるのと同じになってしまいます。

 自然の中では上下左右あらゆるところから「何か」が起きるということが当たり前の世界です。たとえば、虫が飛んできたり、足元も建物の廊下のように平坦なわけではありません。ひょっとすると蛇が出てくるかも知れません。常に周りに注意を払っていないと怪我や事故につながることもあるというようなリスクへの対応力だけではなく、自分ではどうにもならないものに対峙するチカラを養うことにつながります。

 しかし、人工の構造物に囲まれた環境ではそのような注意を払う必要はなくなるだけでなく、身の回りの多くのものに対して、コントロール可能なものというような感覚に陥りそうになり、その感覚が行き過ぎてしまえば歪んだ万能感にもつながってしまうかもしれません。

 「自然」はあるがままの姿そのものであり、長いタイムスケールを経て、あらゆる問題に対する答えを私たち人間に突き付けてきます。
 気候変動や地球温暖化と言われるグローバルスケールの問題、種の絶滅や地域における様々な災害もその一つであるとともに、そのチカラの大きさからすれば、私たちの存在は小さなものに過ぎません。

種の絶滅や生態系の問題への解決手法に関しても食物連鎖の上位種を移入することで解決した事例はほとんどなく、むしろ新たなるより大きな問題に繋がっている事の方が多いという現実もあります。

 つまり、自然は私たちの思うがままへの「お膳立て・・・」はしてくれないのです。

 確かに、失敗しないためのお膳立ては大切なものなのかもしれませんが、そのお膳立てによって、失敗を知らなかったり、失敗をなかったことにする癖がつくことの方が、将来への大きなリスクに繋がります。

 だからこそ、あるがままに答えを出す自然に対して、抗うことなく寄り添っていくチカラを育む・・・という意識をもって自然と付き合うということを大切にしていく必要があるのかもしれません。






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