2024年10月11日
「名もなき家事」について考える

「名もなき家事」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。例えば、炊事・洗濯というような家事を「いつ、だれがやっているか・・・」は、比較的わかりやすいのですが、洗剤が無くならないようにあらかじめ買っておくことや、補充したりすることについては、一度もやったことないけど、いつも使えるようになっているということはありませんでしょうか。
このように、一見、大したことない・・・と思われるような事も、全体が円滑に回る・・・という意味において大変重要な役割をしており、そこが抜けてしまうことですべてが中断してしまったりするような、日常的なこまごまとした「やらなければいけない事・・・」を指して、「名もなき・・・」という形容をつけるようです。
このような、一見注目に値しないような役割は、家庭内だけでなくどんなコミュニティにおいても発生していますし、新たに発生し続けているのが現状です。
仕事であれば、「フォロー」というような表現になるのかもしれませんが、その「名もなきフォロー」は、気が利く人の善意によって支えられていることが多いのではないでしょうか。
しかも、そのような「名もなき・・・」という行為が多くなるにつれて、そのコミュニティに属する人たちの心のゆとりが無くなってくるとともに関係性が壊れるきっかけになり易いと言われています。
職場であれば、いままでやっていたことが休職や退職によって、一人当たりの業務量が増えているけど、「何となく、気が付く人がやってしまうことで何とか回している・・・」とか、「お互いに手いっぱいで、見て見ぬふりをしてほったらかしている・・・」という状況に陥ったりしていませんでしょうか。
その結果、当然ながら「これは自分の仕事じゃない」、「この仕事は、あの人に任せられない」、「この業務について、なにも聞いていない」、「自分の業務をわたしたくない」というような言葉が多くなってくると、「なんで自分が・・・」という理不尽な気持ちが高まり、お互いの気持ちの中で対立や衝突が起こりやすくなります。
本来であれば、こんな状態の時こそ、「やって欲しいこと、と任せて欲しいこと」が明確になっているのが理想なのですが、現実にはそう簡単にはいきませんし、やって欲しいことと任せて欲しいことの境界線を引き直し続けることが出来るには、そこに関わる人たちがお互いに心理的安全性が高い関係を保ち続けている必要があります。
その一方で、無意識のバイアスと圧力によって決まっていることも多々あります。
正当な理由がないのに年齢や性別などの属性で「やるべき」「やるべきではない」と決めつけられるという旧態依然とした差別意識によるストレスがあることもあります。
職場などでは、他の人がアイディアを出すだけで、「こまごまとした調整がいつも自分に回ってくる・・・」というような事も「いつも、お膳立てばかりやらされる・・・」という気持ちになり易くなります。
更に、「これは、私の考えたアイディアだ・・・」というような立ち振る舞いが重なることで、「お膳立てばかりでなく、手柄までも・・・」と搾取されているという感情が湧きあがってくることもあるかと思います。
このような、状況に陥り易い遠因として、日本文化に根付いている「おもてなしの心」があるとされています。この「おもてなしの心」は、豊富でゆとりある労働力を前提に成り立っていましたので、質と効率のみならず、個々の裁量権という三つのバランスによって高いレベルを維持してきたとも言えます。
つまり、現代のように時短とかタイパというような少数で効率的に・・・という状況の中では、無理な形で一人一人に負担が増えていってしまうのです。
これらのように、長い間の思い込みや習慣、さらには社会的な慣習に至るまでの様々な要因によって「名もなき・・・」が、あちらこちらで発生してるのにも関わらず、個人のレベルではすぐさま改善につながらないような構造的な問題が関係してることも、この課題の特徴と言えます。
とはいえ、このような「名もなき・・・」にも「もう勘弁してほしい・・・」と言いたくなるような疲弊につながるケースもあれば、それほど負担に感じないケースもあるのが現実ですが、その違いは、どこにあるのでしょうか?
自分のやったことに対して「報われ感」という報酬があるかどうかだと言われています。
金銭的なものもありますが、それだけではなく「自分のやったことには価値がある・・・」、「役に立っている・・・」と感じられる心理的な報酬は大切だとされています。
そのなかでも、「自分のやっていることを、周りが認識していてくれるという安心感」という報酬は特に大きいと言われています。
そのような、「名もなき行為」は無駄にならず役に立っている・・・という心理的な報酬によってバランスがとることが出来れば、疲弊感という坂道を下っていることが避けられるのです。
しかし、その心理的な報酬を感じられない場面が度重なることで、「怒り」という感情に変化してしまい自身のエネルギーをも急激に消耗してしまうのです。
怒りは、自分自身を最も消耗させる感情であると同時に、自覚しにくい感情であると言われています。
「なんで、あの人はこんな状態なのに関心がないの・・・」「私ひとりが犠牲になっているのに、なんで平気なの・・・」というようなネガティブな 思考になりがちになることで、怒りの感情につなげてしまい思考の悪循環に陥ってしまうケースも珍しくありません。
「名もなき・・・行為」は、多くの関係性を壊す可能性がありますが、その一方で、絶対に無くなることの無い「行為」でもあります。
だからこそ、その「行為」の一つひとつに対して、お互いに敬意をもって具体的に伝えることで心理的な報酬を分かち合うという意識が欠かせないのかもしれません。
Posted by toyohiko at 16:40│Comments(0)
│社会を考える