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2024年09月05日

属人化と性弱説

属人化と性弱説


 人は、放っておくと、属人化すると言われています。例えば、「チームでのルールとしてはダメだけど、ここだけは良いんじゃない・・・」というやり取りを通じて独自のルールとして容認してしまったことはありませんか。

 また、小さなレベルで「上には内緒でいいからさ」と、チームの方向性に相反することを促したりした経験はないでしょうか。そのようなやり取りを重ねることで、メンバーを味方に付けようとすることも、放っておくとやってしまう「属人化」の典型的な事例とされています。

 これは、自身がルールメーカーであるような言動を繰り返すことで、自分自身があたかもチームの中心に居るかのような状態をつくり、自身の承認欲求が満たされるからだと考えられており、「属人化への行動は、本能的に出てしまう・・・」とさえ言われている非常にハードルの低い行動パターンとされています。

 しかしながら、属人化したマネジメントがエスカレートしてしまえば、良心に耐えかねたメンバーによる「密告」によって、それが判明し、「責任をとって辞める」「会社の信頼を損なう」という顛末を迎えるというような事例が後を絶たないのも現実です。

 このような事例は、上の人に対する同調のみならず、「うちは、こうだから・・・」とか「昔から、○○だから・・・」というような「古くからの慣習」と呼ばれる実体のないものに対しても起こってしまうのが現実です。

 属人化を見過ごしてしまう原因の多くは、既存の慣習になびくことで自身の精神的なセーフティーゾーンを守ることからかと思います。

 例えば、「良くない状況だと解ってはいても、古くからいる人の拘りのようなものが周りの場を制圧しているようなムードになっていて、本当は多くの人が解ってはいても誰も言い出せない・・・」というような事は、どこにでもありますし、最近では名だたる組織においてもそのような状況を報道で見聞きすることが増えたような気さえします。

 ここでポイントとなるのが、「多くの人は気付いているのに・・・、誰も言い出せない。」という状況が多くの場面で現実に存在するということです。

 また、倫理観を曲げて同調することは最も良くないことなのですが、自身の倫理観を守るために周りとは一線を画した立ち振る舞いをしてしまったりすることで、「その人だけの領域」を知らず知らずのうちにつくりあげてしまうことです。

 その結果もたらされることが、属人化を促してしまうような「その人なりの独特のやり方・・・」なのではないでしょうか。

 自分なりに工夫することそのものは、非常に良いことなのですが、その工夫そのものが、「チームの目的達成のため」ではなく、「自分なりの正義を貫くため」になりがちになってしまいますので、その工夫にひずみが出てきている可能性も否定できません。

 さらに、別のケースでは、相手の真意を確認することなく、過去の経験から失敗のイメージを膨らませることで、「この場は、なびいて同調することの方が上手くいく・・・」と相手主導の選択に対して正当化しがちになってしまうことも多くなります。

 また、「気付いていても言えない・・・」ことも多く、そのチーム内で多くの人が望んでる方向とは結果的にかけ離れた状態になってしまっていることも少なくありませんし、ひずみが出ている状態に慣れてしまうことで、意識としては「ふつう・・・」になってしまうのです。
 
 これらの状況を考えていきますと、性善説や性悪説というような善悪で考えてしまいがちなのですが、人はそもそも弱いもので周りの状況に流されやすく、且つその方が上手くいくと考えがち・・・であるという、性弱説という考え方も出始めているようです。

 そうはいっても、そのひずみを「ふつう」として受け入れ続けることは、精神的にもダメージになるため、そのダメージに耐えられなくなった人は、そのチームから去って行ったり、反発を繰り返すという選択をすることで、自分を守ることになります。

 そのようなチームは、そのままにしておけばバラバラになってしまいますので、実際には何とか手を打つ必要があります。そこで、キーワードになるのが標準化です。

 標準化とは規格化と修正化の繰り返しのプロセスとされており、

 その時点で最良と思われる規格をつくる。
 それを全員に理解してもらうための教育などの機会をつくり実践を積み重ねる。
 それを全員に実行してもらうことで理解を深める
 という規格化と

 それによるマイナス効果を発見するたびに、定期的に、良い規格に修正していくという修正化の繰り返しとされています。

 属人化してしまったことで硬直化したチームも、このような標準化のプロセスを用いて成果の出やすいことから成功体験を積み重ねていく事で、チームの雰囲気も変化していくものです。

 つまり、現状の課題を切り分けた上でスモールステップでの目標を見据えながら、標準化の事例を一つずつ確実に積み重ねていくしかないのです。そして、その標準化を進めるうえでDXなどを活用していくのも有効な手段のひとつと言えます。
 
 その取り組みに対しても、「取り組んでいる事」と「出来ている事」の違いは自分自身が思ってるよりも大きいという認識が必要です。そのためにも「出来るまで・・・」のロードマップを明確にイメージすることと理解者を増やしていくことが大切です。

 「チーム全体の目的に近づくため・・・」に考えた場合と「自身がよく見られるためや自分を大きく見せるため・・・」に考えた場合とでは、自ずと行動が変化してきます。

 その目的が周りの人に理解されることで、はじめて協力者とつながり実践に向けての一歩にもつながるのだと思います。

 人は弱いからこそ「頼るチカラ」が必要であり、そのチカラを使うことで属人化から抜け出す一歩につながるのかもしれません。





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Posted by toyohiko at 14:42│Comments(0)社会を考える
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