2018年03月04日
正義と問題行動と承認欲求

問題行動と言われる言葉がありますが、これは、周りの人が「問題」と認知するからこそ「問題行動」と呼ばれることにあり、当事者自身が「問題」を起こそうとして意識的に行動とっているということではないことが多いのが現実です。
「問題行動」と呼ばれるものには5つの段階があると言われています。
1番最初の行動と呼ばれるものは、「称賛の欲求」と呼ばれるものです。
あくまでも、「褒めてもらうこと」を目的とし、その関係性の中で、特権的地位を得ようとする・・・ 。つまり、褒めてくれなければ適切な行動をしない。罰を与える人がいなければ不適切な行動もとるというのが特徴的です。
2番目は、「注目喚起」という段階に入ると言われています。
良いことをしても、「褒められない」とその関係性の中で、特権的地位を得られることができません。そういう時には、人は「褒められなくてもいいからとにかく目立ってやろう」と考えます。
時として、「悪い子」としてその欲求をかなえることもあります
3番目は「 権力争い」、一言でいうと「反抗」です。
周りの人に対して、罵ったり、癇癪(かんしゃく)を起こしたり、反社会的な行動をとることもあります。また、消極的な人の場合は「不従順」や「サボタージュ」によって自分の力を証明しようとします
この状態がさらにエスカレートすると、次の段階に入ると言われています。
その次の段階といわれるものが、「復讐」です。
今まで、認めてくれなかった対象者に対して「憎悪」の感情を求めるようになります。そのため、ひたすら「相手の嫌がること」を繰り返すことで、周りから憎まれ、恐がられるために徐々に孤立していきます。ストーカー行為などはこの「復讐」にあたると考えられています。
最終的な段階と言われているのが、「無能の証明」といわれる行動です。最初から「出来るはずがない」とあきらめた方が楽・・・という心理で自分がいかに無能であるかをありとあらゆる手段を使って証明しようとします 。この「ありとあらゆる手段」というのがポイントで、自傷行為や引きこもりなど周りの人たちへの、極度の困惑を目的化していることも少なくないのが特徴といわれています。
この5つの行動的特徴にも表れていますが、根底にあるのが「認めてほしい・・・」という欲求です。
認めてほしいという欲求は誰にしもあるものなので、その欲求そのものが悪いわけではないと思いますが、「・・・という自分を認めて欲しい」ということが、色濃く出てしまうと難しい問題になってしまいます。
「・・・という自分」という感情の中に、「自分自身の考え方と同じであって欲しい・・・」というものが色濃く出てしまうからです。
冷静に考えれば、「自分と他人とは全く同じ考えに至ることは、難しい・・・」ということは、容易に理解できるはずなのですが、そこに、「満たされていない、可哀そうな私・・・」という感情が加わることで、「相手が、私を理解するべきである」という、ある種の正義感にも近い強い感情が生まれてしまうこともあるのではないのでしょうか。
この「正義感」こそ、相手を変えようとする強い意志の表れである一方で、「自分は変わらない」という強い意志も同時に表しているのではと思います。
ヒーロー者のアニメなどで、良く見られるワンシーンですが、正義の味方と呼ばれる主人公が、「登場するや否や相手を攻撃する・・・」というのも、ある意味象徴的な出来事のような気がしてなりません。
「不寛容社会」と呼ばれる、社会での様々な出来事も「認めてほしいという感情からくる正義感」の集合体なのであれば、「自分と他人は違う・・・」という考え方を常に意識することで、少しずつ変わることができるかもしれませんね。
Posted by toyohiko at 09:53│Comments(0)
│社会を考える