2018年12月01日
悪気がないのが一番悪い

よく、「悪気は無かったんだけど・・・」という言葉を耳にすることがあると思いますが、その表現に、「何とも言えない、釈然としない想い・・・」をした方も少なくないのではないでしょうか。
この「釈然としない」という思いの根源にあるのは、「正しさを押しつけられた・・・」という感覚になってしまうからなのでは・・・と思うことがあります。
近年では、SNSの普及などインターネットなかで、様々な意見を戦わせる機会も多くなってきました。「炎上」という言葉が象徴するように、自分自身の考える「正しさ」と合うか合わないかで、共感と炎上をある意味「白黒しっかりつける・・・」というような感覚で繰り返し、自分自身の正しさだけを求めて争っているようにさえ感じることもあります。
しかし、「正しさ」をもとめて争いをするのは、宗教上の違いによる争いの様なものになってしまいます。
まさに、「自分の正しさ以外は、一切耳を貸さない・・・」というような状況と同じです。
だからこそ、「悪気はなかったんだけど・・・」という言葉のニュアンスのなかに、相手の「正しさ」を押しつけられた・・・という感覚を覚えてしまうからなのかもしれません。
この「正しさ」故に、良く使ってしまうもう一つの言葉が、「あなたのためを思って・・・」というフレーズです。この言葉は、比較的関係性の近い間柄で使われる場面が多い様に思います。家族同士や先生と生徒、上司部下の関係などがこれにあたると思います。
あまり、良い事例ではないとは思いますが、家族間など近親者同士での殺人事件のきっかけにもなってるというのが、この「あなたのためを思って・・・」というフレーズなのだそうです。
ここで問題になってしまうのが、「あなたのためを思って・・・」が、「私の言うとおりにしなさい・・・」と聞こえてしまうことなのではないのでしょうか。
しかもその主張に、いわゆる「正しさ」が充満した状態であれば、「あなたは、ダメなんだから・・・」という逃げ場のない状況に追い込んでしまう事さえあるのかもしれません。
いってみれば、善意によって相手の尊厳を傷つけ続けていることになるのです。
日本国内で起きている殺人事件の半数以上が家族などの近親者間で起きているという現状を考えると、この「正しさ」の押し付けというのは、社会的課題の一つなのかもしれません
ハラスメントなどの事案にしても、指摘している内容そのものよりも、「言い方」や「態度」に問題がある場合が非常に多いことも事実です。
逆に言えば、どんな正しい主張をしても、「言い方」や「態度」が間違ってしまえば相手には、ほとんど伝わらない・・・ということになります。
人間同士のあらゆる関係性において、日々様々な課題が出てきます。その課題をお互いの関係性の中で感情が前面に出てしまうことで、「課題」そのものが何であるかさえ共有できずに関係性を悪化させるだけになってしまうこともあるでしょう。
人間のあらゆる能力が発揮される一番の条件は、「心理的安全性」だと言われています。
つまり、お互いに「何を言っても大丈夫・・・」という安心感がある事です。
「悪気がないのが一番悪い・・・」、
「自分の正しさ」と「他の人の正しさ」は必ずしも同じではない・・・と考えれば、「善意の塊である正しさ」は、一番の「悪」になってしまう可能性があるという意識は必要なのかもしれません。
Posted by toyohiko at 20:53│Comments(0)
│社会を考える