2018年12月09日
コミュニケーションと幸福感について考える

「幸せ」という概念は、人によって違うということは言うまでもありませんが、その幸せをどのように得るかということになりますと、ひとりひとりが勝手々にふるまうことで得られるようなものでもないということも多くの方が理解していると思います。
人の幸福感というのは、その人の周りで起きている出来事について、外的要因によって起きていると感じられるタイプの人の方が高いという事が言われているそうです。
外的要因と内的要因について少しふれておきますと、色々なもの事について「自分のせい」と考えるかどうかの傾向と理解すればいいのかもしれません。
外的要因を重視する傾向の強い人のは、「運がいい…」とか、「今日は、ツイてないからしょうがないか…」という思考で物事を考えますが、内的要因を重視する傾向の強い人は、「自分が頑張ったから…」とか「自分のせいで…」という思考になりやすいという事です。
これの思考が他者にたいして向かったときは、少々厄介なことになります。
内的要因を重視する場合は、「自分だって頑張っているんだから、あなたも頑張らなければいけない」という考え方になりますので、他者にたいして「べき…」という考えが強くなってしまい、不寛容であったり、自分にとっての正しさの強要につながり易い状況になってしまうからです。
このように。「なければならない…」とか、「べき」の思考の強くなると、他者をコントロールしたいという気持ちやコントロール出来るという気持ちに陥ってしまいます。
しかし、多くの場合ほ他者が自分の思い通りに動いてくれるということはありませんので、常に悩んだり苦しんだりしていなくてはならない事になりますので結果として「幸福」という言葉から自ら遠ざかってしまう事になるのです。
アルフレッドアドラーによりますと、「労働の分業」は、「人間の幸福の主たる支え」と述べているそうで、分業が出来るようになったのは人が「協力することを学んだため」、としています。
分業し協力するという人間同士のつながりの中でこそ、人は幸福になれるとまで言っているのです。
「協力」するということは、「一緒にする」という事ばかりでなく、お互いに「任せたり」、「任されたり」することです。
多くのひとは、「任される」ということに対してマイナスの感情を抱くことは少ないと思います。これは、任されるということに対して評価してくれたと感じ、自分がその関係性の中で承認されたと感じるからです。
その一方で、「任せることが苦手…」とか、「自分でやった方が早い…」と思っているかたも少ないのも現実です。
これは、任されることによる幸福感を得ることのハードルの高さを物語っているのかもしれません。
以前にも、記したようにコミュニケーションというのは、本来、目的を達成するための戦略という側面もあります。つまり、「自分の正しさ」や「だろう・・・」という先入観を出来るだけ排除するようなコミュニケーションの取り方を積極的に利用することで自分自身のみならず相手の幸福感も上げることが出来るのかもしれません。
そのために、お互いの関係性の中で「決めてほしいこと」と「任せてほしいこと」について共通の認識をしておく努力をすることです。場合によっては、直接この言葉を投げかけて確認することも必要なのです。
チーム内の人間関係においても、親子や家族の関係性においても同じことです。
よく、伝えていないのにも関わらず、相手が自分の思った通りの言動につながらないときに、何も言わずに「自分でやってしまう・・・」などの行動で取り上げてしまったり、相手に対して無視や批判的な態度を摂ってしまうことがあると思います。
このような、言動につながるキーワードの一つが「遠慮して・・・」という言葉だったりするもの現実です。
この「決めてほしいこと」と「任せてほしいこと」をお互いの関係性において「明確」にしようとすると、少し無理があったりしんどかったりするので、そういう意味では、お互いにとっての良い形での落とし所が必要なのかもしれません。
「任せることが苦手…」とか、「自分でやった方が早い…」という「一人で出来るもん病」の症状に苦しんでいる方は、お互いの関係のなかで、「決めてほしいこと」と「任せてほしいこと」を確認してみることから始めてはいかがでしょうか。
Posted by toyohiko at 18:57│Comments(0)
│社会を考える