2018年12月15日
あたたかくて厳しいチームを考える

社会生活においてチームと言われるものは沢山あると思います。特に今年は、大学などのスポーツ界でのパワーハラスメント等も多くの関心を集めた事もありました。
「体育会系」と呼ばれるように、厳しさの中で耐えて自己研鑽を積み上げるというチームづくりは、今まで多くの関心を集めてきました。
その理由として、もっとも成果が出やすいチームづくりと思われてきた為なのだと思います。
しかし、近年その方向性について疑問を投げかけざるを得ない状況になってきたことも事実としてあるのが現状です。
「ルールと厳しさだけでは目標達成能力に対して限界がある。」とか、厳しさの名を借りて、リーダーとチームの関係性において、人としての「尊厳すら損なっても仕方ない・・・」というムードが蔓延し、「決められた事しかできない・・・」とか、「決められたことだけやっていればいい・・・」というチームとしてのムードが出来やすくなったしまいます。
ここで、チームに於ける「厳しさ」や「甘さ」、そして「あたたかさ」や「冷たさ」について少し考えて見たいと思います。
厳しさとは目的意識やそれを達成するための規範意識と考えるのが理解しやすいと思います。「厳しさ」と対極にある「甘さによる結果」をイメージすれば容易に想像ができます。
また、「あたたかさ」とは、人の尊厳をいかに大切にするかとか、相手に対する「敬意」のようなものがこれに当たると思います。
つまり、チームに於いてのムードや風土という表現で表わされるものになります。
この目的意識に関する「厳しさ」や「甘さ」とムードや風土に関する「あたたかさ」や「冷たさ」の組み合わせでどの組み合わせが一番良いチームになるかを考えて見ると、「冷たくて、甘い」がもっとも悪い状態で、「あたたかくて甘い」、「冷たくて、厳しい」という順で、一番理想的なのは「あたたかくて、厳しい」チームが一番に良いということになるのです。
ここで問題になるのは、2番目になるのが「冷たくて厳しい」チームだということです。
今まで、体育会系の組織が良いとされてきた要因もここにあるような気がします。
この順番を考えて見ると良く分かるのが「甘さ」と「厳しさ」が上下二分されるのに対して、あたたかさというのがそうではない事です。
目的意識の希薄さによって厳しさは薄れてしまうと同時に、目的そのものを他者に依存してしまいがちになり当事者意識が低くなってしまうのです。
その一方で、あたたかさにつながる「他者への配慮」のようなものも、うわべだけの「あたたかさ」求め本来の目的を見失うことによって、「遠慮・・・」という意識から来る孤立を招いてしまうことも少なくありません。
その結果、チームワークが乱れてしまうリスクが高まってしまうという状態に陥ってしまいます。
チームにとって、目の前の課題を解決するためには、「学ぶ」、「考える」、「行動する」というプロセスが重要です。この三つのプロセスが自律につながるからです。
さらに大切なのは、チームにとっての結果にどのようにつながるかということです。
「心の底から優しいことをしたいと思っているのに一目を気にするあまりその行動ができない人」と「決して純粋な理由ではないけれれど良い行動を行っている人」とどちらが良いのかと考えて見ると、残念ながら理由はともあれ「行動のできる人」が結果をもたらしてくれるというのが現実です。
そもそも、人の心は判るのか・・・さらに、自分の心すら良く分からないということも往々にしてある・・・ということからしても「行動」の大切さはいうまでもありません。
チームである以上、行動は一人ではできません。そもそも「人が仲良くすることはそもそも難しい」と考えることで、間違った遠慮をしているよりも、「目的意識」を明確にしていく事の方が大切であることもわかると思います。
さらに、「厳しさ」の無いチームの特徴として「いつも、誰かを責め続けている」という傾向があります。これは、他人だけではなく自分自身も当てはまります。
例えば、ある人を「許せない」と思って行動や態度に示したとしても、その行動によって起きてしまうリスクを自分で背負うという結果につながってしまう確率が上がってしまいます。この状態は、自律からはもっとも遠いところにいることになってしまいます
「あたたかい」チームに必要不可欠な要素の一つは、個の自律です。自律した状態では、各々が自己貢献感をもち高い柔軟性とスピード感をもって目の前の課題に向かうことができます。
よく自己貢献感を高めるためには「褒める」ことをすすめる場合も多いですが、良く似た言葉で「認める」「おだてる」という言葉もあります。
「おだてる」の意味は、嬉しがることを言って相手を得意にさせてそそのかすことなので、その人の成長を妨げてしまいます。
「褒める」というのは、何が良かったのかを具体的に示していくことで、成長を促します。
「認める」というのは、個の存在を確認できるように促すことで、自律を促すのです。
この三つの行為は、それぞれ違いがあるもののその行為の時に使う言葉が同じになっている事が多いのが現実です。
例えば、「すごいね・・・」という言葉をどのような意味で使ったかと、どのような意味で伝わったかの違いがでてしまいます。
しかし、「ありがとう・・・」という言葉だけは、畏敬の念も含め「認める」ための一番のキーワードとして伝わる唯一の言葉なのかもしれません。
あたたかくて厳しいチームでは、目的意識がしっかり共有され、「ありがとう・・・」という言葉が飛び交っているのかもしれませんね。
Posted by toyohiko at 16:49│Comments(0)
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