2018年12月21日
不安と問題行動

不安というものは誰しもが感じることであると同時に、「少しも不安そうに見えない・・・」ひとがいることも事実としてあります。
それに対して、「感じ方が、違うから・・・」と言う人もいるかもしれませんが、「不安」という意味には「何かが気がかりで、落ち着かない、安らぎが得られない心の状態」とあるように、まさに「感じ方の違い・・・」なのかもしれません。
「不安を煽る」という言葉があるように、普段はさほど気にならないようなことでも、周りの人のちょっとした一言で、「気になってしょうがない・・・」状態になってしまったり、あるいは気分を害したりという経験は多くの人があるはずです。
例えば、「忙しいでしょ・・・」とか「疲れてる・・・」という言葉を頻繁に掛けられることで、元気を無くしてしまったり、「試験、大変だね・・・」とか、「今度の試合、負けられなよね・・・」と繰り返し云われることで、必要以上にプレッシャーを感じてしまい本来持っている力を発揮できないなどの結果につながったりしてしまうということです。
これは、本来であれば「取るに足らないような事」や「興味本位の野次馬根性」で、本来、感じなくても良いようなことを「言葉にしてしまうこと」で問題になってしまうことが沢山あるのではないでしょうか。
日本には、言霊という言葉がありますが、まさに言葉にしてしまうことの威力そのものがマイナスに働くことで起きてしまう事の一例が「不安」なのかもしれません。
このような、関係性で考えると「不安になってしまう人」と「不安にさせる人」の二つの立場があることに気づくと思います。
「不安にさせる人」というのは、いいかえると「問題点を掘り起こす人」とも言えると思います。
「問題点を掘り起こす人」で考えれば、問題にする目的があると考える必要があるのかもしれません。
その目的が何処にあるか・・・が大切なような気がします。
例えば、生徒指導に伴う様々な校則の中には、一見つながりの無さそうな事を無理やりつなげて、起こるかどうかわからない将来の不安を解消するために問題を掘り起こしてしまい、自分自身がその問題にがんじがらめになってしまい指導する側も苦しんでいるようなこともあるかもしれません。
これは、ルールを決める人たちの当たり前や親心と言われるような親切心から来る「正しさ」という価値観と違うという理由で「問題」とされてしまう事例で、多くの場合は直接、生命に関わったり、人の尊厳を損なうということにつながらないこともあるのではないでしょうか。
むしろ、「尊厳」という意味で考えれば、「問題」とされる事で「尊厳」を損なったと感じ、問題とされる行為をし続けるための動機を与えてしまうケースもあるような気がします。
不安になったり、問題行動をしていると言われてしまうと多くの人はネガティブな志向になり、周りの人をマイナスの方向に導く主導者になりやすくなってしまいます。
この不安や、問題行動と言われる行為は、多くの場合、周りの人たちの「不安」や「親切心」によって本来無かったものが掘り起こされている・・・。と思った方が良いのかもしれません。
この「不安を掘り起こす」ということで考えれば、言葉も大切ですが、ノンバーバルコミュニケーションの考え方からすれば、態度やしぐさも大きな要素であることも言えると思います。
皆さんは、周りの人の必要のない不安を掘り起こしてはいませんか。
その「掘り起こし」が、問題行動の火種になっているかもしれません。
Posted by toyohiko at 17:05│Comments(0)
│社会を考える