2019年09月20日
謙遜と「めんどうくさい」の境界線を考える

謙遜という言葉がありますが、この言葉はある意味において、日本社会を象徴する言葉の一つと思うことがあります。その一方で、その人の能力や自信のようなものを伝わりにくくするという効果があり、複雑なコミュニケーションによる関係性のなかで、相手の心理を読み解くというような能力を要求されることにもつながっているような気もします。
先日、愛知県が主催する「あいち女性の活躍促進セミナー」で、聖心女子大学人間関係学科の大槻奈巳教授が「真の女性活躍に何が必要か~女性のチカラを引き出す方法」というタイトルの基調講演の中で、「めんどうくさい」というフレーズに対して興味深い考察があったのでご紹介してみたいと思います。
この講演のなかで紹介された事例のなかで、企業内での女性同士の先輩後輩という関係性の中で、「女性の後輩をみていると能力があり出来るのに「無理です、自身がありません」と口に出してしまう。男性は決して言わない。女性が言うのは励ましてもらいたいなのか、励ましてもらうことによって自信をつけたいのかもしれないが、めんどうな人になってしまうだけ・・・だと思う。」ということを感じるというような内容がありました。
「無理です、自信がありません・・・」というような表現をするのは、女性だけに限らないかもしれませんが、このようなフレーズを投げかけられて困った・・・という、上司や先輩は多いのではないでしょうか。
このやり取りを別の視点で、考えてみたいと思います。
この時の主張は何かと考えた場合、「やります」なのか「やれません」なのかが曖昧であるということが解ります。そこで、大切なのは主張の理由ということになりますが、そもそもの主張が曖昧なので主張の理由もはっきりしない・・・その結果、「そのくらいは、くみ取って欲しい・・・」という無言のコミュニケーションを展開させてしまうことになります。
本来であれば、そこで、「どっちなの・・・?」と問いかける事がベターなのかもしれませんが、そこではっきりさせる事自体が、「私のことを、わかってくれない・・・」というロジックに巻き込まれた経験のある人にとってはマイナスの記憶として、そのようなやり取りを避けてしまうということになりますし、日本の文化としてそのような流れを容認してしまうような雰囲気があることも事実です。
このような、やり取りから最終的に読み取れてしまう主張は「はっきりさせたくない」という表現で相手に伝わってしまう可能性が高く、結果的に「めんどうくさい」という言葉につながってしまうのだと思います。
このようなやり取りは、中庸や曖昧さによって自身を守ったり、「相手の意をくみ取る・・・」というような自己開示性の低い状況の中で、相手を理解することが美徳とされる日本独特の言語文化を象徴しているのかもしれません
さらに、このようなやり取りにおいては「察する文化」という前提によって支えられているのですが、この前提は地理的な条件、民族の同質性、言語の共通性などからなりたっているために「相手と自分は同じ・・・」というもう一つの前提が隠れていることに気づかないでいることが多いのです。
このことは、これからの社会の多様性を培っていくなかで、大きな障壁になってくることは否めないと思います。
だからこそ、「ふつう、いわなくてもわかるだろ・・・」とか、「めんどくさいやつ・・・」というような言葉が普通に飛び交う、難易度の高いコミュニケーション手法を取り続けてしまうことになっているのだと思います。
以前聞いた話なのですが、ヨーロッパを中心とした欧米文化の中ではパワハラという概念があまりないのだそうです。その大きな理由として、立場の差などによって自分の主張をするべきではないという考え方が無いからだそうです。
そのため結果的に、コミュニケーションそのものがシンプルになっているのかもしれませんし、自己表現も含めた自己開示性が高くないと埋没してしまうという暗黙の了解もあるのかもしれません。
また、主張の中に感情が乗っかりすぎてしまう場合にも、主張そのものが不明瞭になってしまったり、主張の理由が曖昧になってしまうため、相手に「話を聞いて欲しかっただけなので、これで解決した・・・」という誤解を与えてしまうことも多々あるような気がします。
これも、相手に「めんどうくさい人」として認定されてしまう要因の一つになります。
行き過ぎた配慮や謙遜に振り回され、「めんどくさい人」認定をされる事は、思った方の人も、思われた方の人も全員が敗者になってしまいます。
そのためには、男性、女性というような分け隔てなく「なりたい自分」を常にイメージしながらそのイメージに近づくための主張ができるスキルを身に着ける必要があるかもしれませんね。
Posted by toyohiko at 11:56│Comments(0)
│社会を考える