2019年11月15日
社会との関わりを考える

「自分らしく社会と関わっていたい・・・」という気持ちは多くの方が持つ共通の気持ちではないかと思います。「社会との関わり」というと「=仕事」というイメージになりがちな人も多いのかもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか。
「社会との隔絶・・・」「社会から取り残される・・・」とう気持ちは、「働く」ということが経済的な理由だけでなないということの裏返しなのかもしれません。
ワンオペ育児という言葉に代表される育児に関する孤立や、高齢者の交通事故などの社会問題に対する解決策の一つとしての免許返納制度によって予想される、高齢者の社会との隔絶など・・・。
「めんどうなもの」は目の前から見えないようにすることで「安心」を担保してきたのようにも見える流れは社会全体にとって本当の意味でよい方向性に向かっているといえるのでしょうか。
人は誰もが「認められてたい・・・」という社会的な欲求があります。
そのためには、自分が自分として存在してるという実感が非常に大切な要素であることは間違いありません。
その一方で、それぞれの価値観の隔絶が様々な理由で起きてしまうことで、実際に起きてることのリアリティのようなものが損なわれてしまい、多くのことが、ある種他人事のように感じてしまうことも少なくないのが現代のネット社会の特徴ともいえるのかもしれません。
現実に私たちの周りで起きていることについて言えば、利便性の追求や効率の名のもとに「人と関わり」は次々と減ってきています。そうなれば、そうなるほど人と人との間には「他人事」が増えてしまいます。
他人事が自分ごとになるためには、実際に人と関わって多くの経験を重ねることで、ある種の感情を共有することが大切なのだと思います。そのためにも、「人と人が直接かかわる」ということは、これからの社会において最も重要なことの一つになってくるのだと思います。
日本の子どもに関する様々なデータの他国との比較の中で、顕著に低いといわれている数字が自己肯定感と非認知能力だといわれています。
このことは、これからの次世代を支えていく社会の大きな課題として考える必要あります。
一人では、乗り越えられないことも一緒に乗り越えてくれるパートナーがいることで、自身の能力をより高いものに引き出してくれるということは、スポーツの世界でのコーチやトレーナー制度などを見ても明らかなことです。
だからこそ、「人と関わる」「社会と関わる」ということは、自身の存在意義を確かめていくためにも不可欠なものです。
こうなると、社会と関わり続けていくためにはどうすれば良いか・・・という話になります。
先ほどのスポーツの世界の話でも、プレイヤーのためにコーチやトレーナーが全部言いなりになる・・・という関係ではうまくいきません。
両者の中で、目指す姿という共通の価値観に基づいた敬意があればこそ・・・いい結果になるということなのではないでしょうか。
よく関係がギクシャクしてしまう・・・という言葉も耳にしますが、これは日本人にありがちな「言わないけど、わかって欲しい・・・」という感情から来てしまうこともありますし、裏を返せば、「なかなか、聞けない・・・」ということにも通じてしまいます。
しかし、共通の価値観無しにお互いが「勝手に配慮?」することで、人同士の良い関係や良い社会につながるということは、言うまでもなくあり得ないことです。
そこで、必要となってくるのが「自己開示性」といわれるような、自身の考えを伝えるという実際の行動そのものです。いくら想いがあったとしても実際に伝えない事には、自分の納得いく結果にはつながらないからです。
ビジネスの世界では「働き方改革」、そしてその一方で、高齢者や子育て世代の孤立の問題など様々な解決していかなければならない課題は沢山あります。
その課題解決のための制度設計ひとつとっても、自分事として取り組むことができなければ課題解決にはなりませんし、幸せにはつながりません。
現実の社会には、色々な人が居ます。だからこそ、「大切にしたいこと」をいつもお互いに意識しあうことが必要になってくるのです。
Posted by toyohiko at 12:08│Comments(0)
│社会を考える