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2020年07月02日

子どもたちと社会との非言語コミュニケーション

子どもたちと社会との非言語コミュニケーション


 「未来は不確実であり,予測すること は困難である。しかしながら,我々は常に将来の変化に対して開かれており,かつ準備が できていなければならない。(中略)・・・そうした不確実な中を目的に向かって進んでいくためには,生徒は好奇心や想像性,強靭さ,自己調整といった力をつけるとともに,他者のアイディアや見方,価値観を尊重し たり,その価値を認めることが求められる。また,失敗や否定されることに対処したり, 逆境に立ち向かって前に進んでいかなければならない。単に自分が良い仕事や高い収入を 得るということだけでなく,友人や家族,コミュニティや地球全体のwell beingの事を考えなければならない。」これは、OECDで2015年から進めています教育とスキルの未来Education 2030の序文で紹介されている内容の一部です。

 そのような中、日本の児童生徒たちの特長的な傾向として規範意識は高いが、非認知能力が低く、物事を楽しむことがなかなか出来ていない事などの課題も顕在化してきています。

 教育の目的の一つとして、目まぐるしく変化している社会との差を埋めていくという大きな役割があります。しかし、現在の日本の学校教育では、多くの場合、集合教育のスタイルがとられており、そのスタイルを維持するために様々な制度やルールがつくられているという現状があります。

 そのために「ふつう」とか「当たり前」という言葉で、一定の属性に従属していくような規範意識の醸成がなされやすいと同時に、他人と違うという事に対しての不寛容性も高く、「いじめ」や「不登校」にもつながっています。

 現在の学校のような社会では、「同じであること・・・」が心理的安全性に大きくかかわってきていますが、卒業後の社会に於いて真っ先に求められるのが、「他者と異なった個性・・・」であり、「他者に真似のできないアイディア・・・」です。

 このような個性やアイディアを支えるものは、他人に対して、気軽に頼ることが出来たり、多少のマイナスの影響が出てしまうとしても目的と信念をもってやりきる勇気だったりするのです。

 つまり、学校の時に学んだ、「自分で何とかしなさい」、「人に迷惑をかけてはいけません」という言葉そのものは大切なことなのですが、結果的に頼るということに対するネガティブな感情など、社会への適応性という意味では逆方向に作用してしまったりしているのではないでしょうか。

 アメリカの心理学者アルバート・マレービアン博士によりますと人が他人から受け取る情報の割合に対して、「顔の表情55%」、「声の質(高低)、大きさ、テンポ 38%」、「話す言葉の内容 7%」と非言語のコミュニケーションの方が圧倒的に相手に伝わるといわれています。これは、「話す言葉の内容」は7%に過ぎず、9割以上は「顔の表情」や「声の質」「表情」「身だしなみ」「しぐさ」など、顔以外の身体全体から感じとれるものからすれば、極僅かということになり、「伝える」情報量よりも「伝わる」情報量の方が圧倒的に大きいという事になります。

 「怒らないから、ちゃんと云いなさい・・・」という文章を、どんな顔の表情で、どんな、声のトーンで伝えるかでは、相手には伝わり方が全く違うということと同じです。

 ましてや、マスクをしてのコミュニケーションが中心になってきてしまった現在では、この非言語コミュニケーションの考え方からしても様々な支障が生じているのかもしれません。

 この「伝わる」もっとも大きなものが、様々な「癖」なのだと思います。「ふつう」とか「当たり前」という言葉でひとくくりにしてはいるものの、実際には狭いコミュニティでしか通用していない「非常識なこと」もそこには含まれています。

 学校の世界だけではなく社会全体で遅々として進んでいかない「働き方改革」や学歴偏重への意識なども、このなかなか治らない「癖」によるものなのではと思う事があります。

 「仕事における慣性の法則」という言葉がありますが、大した理由がないのにも関わらず変えられないという事が身近に沢山あることは皆さんお気づきのはずかと思います。先ほどの非言語コミュニケーションの考え方からすれば、この「慣性の法則」に従っている大人たちの姿が子どもたちにどのように映り、伝わっているかという事を考えなければなりません。

 リーダーの条件で大切なことの一つに、「尊敬される存在であること」というものがあります。

 身近な大人が、「変えられない」という理由で日々が忙殺され、疲弊し、笑顔を失っていく大人たちの姿は、「子どもたちのため」になっているでしょうか。

 変えられない様々な「癖」は、「大人たちの安心」のために子どもたちを犠牲にしているという可能性も含め、「格好いい大人の姿」を見せることが子どもたちにとって、いかに大切かをもう一度考えながら、自らを見直す勇気をもって実行していく時なのではないでしょうか。




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Posted by toyohiko at 15:14│Comments(0)社会を考える
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