2021年07月21日
「心のゆとり」について考える

よく「心のゆとり」が大切・・・とか、「心のゆとり」が無いというような言葉を使うときがありますが、「心のゆとり」とはどのようなものなのでしょうか・・・?
また、心のゆとりを自ら引き出すことで、ある程度のコントロールが出来たとしたら日常にどのような変化がもたらされるのでしょうか。
青砥瑞人氏の著書「BRAIN DRIVEN」によりますと、そもそも脳は、「ネガティブな情報」やエラーなどの「通常とは違う・・・」というようなところに目を向けやすいように出来ているそうです。
これは、自然の中での生存競争に生き残っていく危機管理のために長い年月をかけて身に着けた必要な能力なのですが、住環境も変化し日常の生活の中で四六時中身の危険に対する意識をしている必要が無くなったために、この脳の機能とは現代社会に合せた付き合い方を考える必要があると言います。
ニュースなど、メディアなどでもセンセーショナルでネガティブな情報を多く取り扱うのもその方が、多くの関心を引きやすくメディアとしての価値が高くなるという構造にもつながっています。
逆に言いますと、予定通り順調にできたことについては注意が向きにくいことにもなります。
例えば、「10個のうち8個が出来た・・・」という場合では、8割もできたというよりも、「出来なかった2個・・・」にどうしても意識が偏ってしまうのです。
これは、自分自身に対しては勿論ですが、他人に対しても同じような反応をしてしまいますので、周囲からも「出来なかった・・・」という指摘や叱責をされる事で、ますます意識が出来なかった方に向いてしまうというリスクを理解しておく必要があります。
さらに、脳は不確実性な事や曖昧なことを苦手としています。不確実性や曖昧という事からくる不安が生存確率を下げる危機と判断するためで、脳はこのような状況を回避しようと反応するように出来ています。
この仕組みも、ネガティブな情報に目を向けやすくなっているという事とよく似ていて、現代社会に於いては、このような回避の反応は新しい挑戦に対する阻害要因として作用するリスクと考えた方が良いともされています。
ここで、大切なのは日常的に起こりうる不確実性やネガティブな情報に対してどのように向き合うかという事です。
今まで申し上げたように、そのままにしておけば、多くの場合は脳が不確実性なものやネガティブな情報に囚われてしまいます。
これも、ある種の癖のようなものと考え、そのような状況になった時にできなかった2割ではなく、出来た8割に目を向け直したり、不確実性の先にある「チャレンジによって得られるもの」のイメージに置き換えることが出来れば、物事に対する見方を変えることもできるのです。
しかし、誰もが急に発想を変えることが出来るわけではありません。そのためには脳の反応に対して一呼吸置く・・・という意識を持つことが有効なようです。
例えば、晴れた青空を見上げる、顔見知りの人との何気ない挨拶、行きつけのお店の方の笑顔など・・・日常生活の中の何気ないことのように思えるこれらの行動が、脳に対してポジティブな感情を引き起こすとされています。
このようなポジティブな感情を感じるための自分にとってのルーティンのようなものを身近に沢山準備し、感覚として記憶することで脳の切り替えをスムーズにしてくれるとされています。
私たちの脳は、その情報に注意がいかない限りポジティブな反応を導いてくれないとされています。ほんの数秒でいいので「逆の見方によって見えてくる」心地よい情動反応に注意を向けることで、気持ちの切り替えを上手にできるようになるのかもしれません。
この、ほんの数秒を意識することを「心のゆとり」というのかもしれません。