2021年12月17日
共感とコミュニケーションを考える

「感動の共有」という言葉をよく耳にすることがあると思います。特に今年はオリンピックが開催されたり、プロ野球では、下剋上と呼ばれた両リーグ最下位からの優勝チーム同士での日本シリーズなど、多くの人たちが共感を得たシーンが数多くありました。
今年の日本シリーズの試合に、なぜ多くの人たちが感銘を受けたのでしょうか・・・?
多くの人たちが、「最後まで諦めない姿勢・・・」「全力を尽くす姿勢・・・」など、様々な評価をしていたような気がします。
その一方で、他のチームは、「途中で諦めたり・・・」「全力で、向かっていなかった・・・」のでしょうか・・・?
「プロ」という肩書でプレイをしている以上、そのようなことは無いと思います。
しかし、多くの人たちの目には、「明らかな差を感じた・・・」ということだけは紛れもない事実であったと言わざるを得ません。
スポーツのようにチームで成果を求めるという性格が強く出る場合にとっては、「成果に対する想いが共有される」ということは最も大切なことの一つだと思います。また、その「想い」を一つにすることの難しさがあることも事実です。
様々な想いを共有するという意味を表す言葉のひとつに「共感」という言葉があります。
言い換えれば、「うん、うん・・・私もそう思う。」ということなのだと思いますが、お互いの立場も環境も違うなか、伝える「言葉」や「立ち振る舞い」が、必ずしも共感につながるとは限りませんし、「多様性を大切にしていこう・・・」という世界的な流れからしてもそう簡単なことではないと考えてしまうことも多いと思います。
そのような中、最近では共感にはシンパシーとエンパシーという二つの共感があり、エンパシーの大切さも重要視され始めています。このエンパシーとは、「あなたと考え方は違うが、・・・あなたの考えは理解できる」というものと言われています。
とかく、「考え方の違い」=「敵」とみなしてみたり、同調圧力が大きい、と言われている日本社会にとっては非常に重要な考え方の一つかと思いますし、心理的安全性を高め、チームのメンバー同士の距離感を縮めていくためにも、エンパシーは有効な考え方の一つになると思います。
この考え方の違いと共感を両立させることは、大変難しいことではありますが、チームを成功に導いたり、持続可能なものにしていくためには大切なことの一つになります。多くの人が気付いていると思いますが、画一的な価値観は、失敗のリスクが大きくなりますし、多様な考えを重んじすぎることでチームワークが悪くなってしまえば、元も子も無くなってしまいます。
「提案・・・」と思って伝えたとしても、「文句の多い人・・・」と思われてしまうケースも少なくないと思いますし、同調性に自身の安全を求めすぎてしまうために、何も言わなかったり、無かったことにしてしまうことは、共感どころか・・・分断を引き起こしてしまいます。
にもかかわらず多くの場合、自分で決断することに対して、自由と裁量権という大きなチカラが伴ってくるということを知りながらも、たとえルールに縛られたとしても「決断を他者に委ねた方が楽である・・・」という判断をしてしまいがちなのではないでしょうか。
その理由のひとつに、ルールの決め方があるような気がします。
今話題のブラック校則と呼ばれるものなどもその一つのように思われます。「靴下は白」、「着用するものは、指定されたモノ以外は禁止」など、限定的に許可を出し、その許可の理由についての共有があまりなされない為に、ルールそのものに対する共感性が非常に低くなってしまいます。
その結果、決めた方と決められた方との「分断」が起こりやすくなってしまっているのではないでしょうか。
このような物事の決め方は、「ポジティブリスト方式」と呼ばれ、原則として規制・禁止するという考え方のもとに、様々なケースを検証していく方法です。
逆に、原則的に規制・禁止が無く、規制していくものを決めていく方法を「ネガティブリスト方式」と言います。
規制に対する理由の方が、人にとっての基本的な権利に関わることが多いことや、「原則規制なし・・・」ということからも、実際に運用していく人たちにとっては、自由と裁量権が多くなります。更に、権利に対する侵害という視点で物事が決まっていくほうが、よりシンパシーに近い共感が得られやすいのではないのでしょうか。
チームを構成している一人一人が、自分の意思をもって一つの目標に向かっていくには、「理解しにくい細かい決め事が、沢山ある・・・」よりも、「これはダメだけど、あとは目標に向かってそれぞれが判断していこう・・・」という方が、お互いの共感性の高いコミュニケーションのあり方なのかもしれません。
Posted by toyohiko at 16:55│Comments(0)
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