2022年06月10日
優しさと正直さの葛藤を考える

「嘘はいけない事・・・」というのは、いまさら言うような事でもなく多くの方にとって、当たり前のことであろうと思います。
とはいえ、自然界においても昆虫や小動物の「擬態」など・・・、自身の身を守るために他者を欺くという事例が意外にも多いことを考えれば、「嘘にも、役割がある・・・」という考え方もできるのかもしれません。
もちろん、ヒトの嘘は、ヒトとヒトという同じ種の間で行われるものになりますので、他の生物のように、他の種からの捕食の脅威を回避するものとは意味合いが違うのかもしれませんが、「自身や仲間を守る」という共通性について考えていきたいと思います。
「嘘」はいつ頃からつくようになるのかについては、カナダ トロント大学のKang Lee教授によると、2歳頃から約30%の子どもが嘘をつくことを覚え、4歳では約80%の子どもが嘘をつくようになると報告されています。
子どもが嘘をつく意味については、同志社大学赤ちゃん学研究センター板倉昭二センター長は、嘘をつくには、他者の心を推測する能力、自分を律する能力が必要であり非認知能力に欠かせないスキルのひとつとしています。
さらに「見抜かれない・・・」という目的のために表情をコントロールしたり、声のトーン、身体の動きなど非言語コミュニケーションのスキルも同時に身に付けていくという発達の過程においての重要な役割があるとしています。
心理学の世界には、ホワイト・ライという言葉があるそうで、「相手を思ってつく嘘」と「相手を貶めようとする嘘」とがあるといわれています。
ホワイト・ライに代表されるように、「正直であるべきか・・・」「優しくあるべきか・・・」という両者の葛藤のなか、結果として「嘘」という形になるとも考えられています。
その「正直さ」と「優しさ」のバランスに最も揺れるのが7歳から8歳くらいと言われ、年齢が高くなるにつれて、「優しさ」の方が「正直さ」を越えてしまうというプロセスがあるために、大人の場合は様々な「嘘を散りばめながら・・・」他者との関係性を保っていくようになると考えられています。
また、文京学院大学 人間学部心理学科 村井潤一郎教授は、嘘に関するユニークな調査をしていますので、ここでご紹介させていただきます。
調査内容は、被験者に「ウソ日記」という「自分でついた嘘と、その理由」と「自分がつかれた嘘と、嘘だと思った理由」を詳細に記入してもらい、その結果を集計したところ、1日の「嘘をついた」回数は男性が1.57回、女性が1.96回という結果に対して、相手の嘘に対してどのくらい気付くかという「相手に嘘をつかれた・・・」と認知している回数は、一日0.36回という結果になったと言います。
村井教授によりますと、そもそも「ヒトは他人の嘘に対して鈍感・・・」であることが大切であり、結果が逆であれば社会性というものが根本的に崩れてしまうと考えれば、調査によってそのことが明らかになったと考えることが出来ると述べています。
ヒトが嘘を見破る正確さは54%であるという研究結果があるようですが、「嘘か、真か・・・」の二つのどちらか・・・?という確率2分の1、と考えれば、殆どの嘘は見破ることが出来ないと考える必要があります。
だからこそ、確証バイアスのように「自分の主張に合った情報だけを集めてしまう性質」が起きている可能性があることを理解し、相手の反対側を考えることで物事を懐疑的に見る習慣を持つことも大切です。
とはいえ、「嘘のない世界はどのようになるか、・・・」と考えた場合、社会や人間関係が大変なことになってしまうという可能性は否定できません。
そのことは、「嘘」そのものが、後悔、罪悪感、許す(寛容)など様々な感情を育む仕組みでもあるとともに、芸術の世界を照らし合わせれば、「嘘には、想像力と創造力の両方が入っている・・・」と考えることもできます。
とはいえ、「悪意をもって相手を貶める意思をもった嘘」に寛容であることも問題だと思います。
その一方で、SNSが多くの場面で注目を集めるようになり、フェイクによる分断など、嘘への耐性が弱ってきているのと同時に、悪質な嘘が増える一方、小さな嘘にまで厳しくなってしまっていることを考えれば、あらためて嘘との付き合い方を学ぶことが必要なのかもしれません。
「言わないことで、成り立っている幸せ・・・」も身の回りに沢山あることを考えれば、「嘘をついてはいけません・・・」ではなく、「人に対して、誠実であれ・・・」なのかもしれません。
Posted by toyohiko at 12:09│Comments(0)
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