2022年10月14日
「新しい時代のコミュニケーションとは何か・・・」を考える

コロナ禍という言葉とともに、日常においても様々な行動変容が起こってきています。その代表的なものが、リモートと呼ばれる様々なITを活用したコミュニケーション手法です。
また、手法だけでなく「伝え方・・・」の変容においても大きな波が訪れつつあります。その大きな波の一つが「叱る」という行為からの転換です。
「そもそも、叱らないと人は育たないのか・・・」という言葉が注目されるように、従来の価値観では「多様性を損ない、同調性や受動的な人格形成につながる・・・」というような考えの方も多くなりつつあり、叱責はもちろんのこと「叱る・・・」という行為について見直しが急務になってきています。
この二つの社会の変容に関わる共通点は共感なのではないかと思います。
例えば、「リモートワークでも、情報のやり取りは十分に出来る・・・」という事なのだとは思いますが、何となく「相手が何を考えているのかが・・・、今までと違って理解しにくい・・・」と思ってしまったり、「情報だけが伝わって・・・目の前に相手がいるのだけど・・・何となく孤独を感じる」というような感情になる事はありませんでしょうか。
「脳トレ」で著名な東北大学加齢医学研究所所長の川島隆太氏によれば、コミュニケーションが深まってお互いを理解し、共感するようになると、脳のある部分の活動が同期する現象が起きることが明らかになっています。
その一方で、オンラインの場合には、会話は続いているのに、脳の同期が行われないということが解ってきたと言います。
その理由として、現状のオンラインの仕組からすれば、何枚もの静止画で構成されているという技術的な性格上、脳の非常に精密なシステムからすれば、画面に映っているものはリアルな人では無いという認識をしてしまうためと考えられています。
さらに、静止画の組み合わせという特徴ゆえに、「視線が合わない・・・」ことが挙げられます。目と目で語り合うこと、相手の表情をつかむことがどうもうまくできないなどの理由で脳の同期がうまくできないというのです。
人間の脳は、他者との相互作用によって、孤独を感じないというシステムが発動するような仕組みになっているそうで、リモート中心の活動が常態化することによって相手と心のやり取りができている実感が得られず、孤独になっていくとも言われています。
また、「叱る・・・」という行為に対し、臨床心理士の村中直人さんは、叱るという行為の攻撃的な側面に注目する必要があると述べています。
そもそも、叱るという行為は、親、教師、上司など、権力を持つ者から行われている行為と考える必要があります。つまり、叱るか叱らないかの基準は権力者次第という事になりますので、「自分の叱る権力・・・」について常に意識する必要があります。
叱るときの動機は、「こうあるべき・・・」という想い描いた姿とのギャップを埋めるためになりますので、自分や自分たちの考えが正解だという想いが募り、「こうあるべきだ」が増えれば増えるほど、叱りたくなるために「自分たちが持っている常識を常に疑う姿勢」が大切だと言われています。
そもそも、「叱る・・・」ということがやめられない理由のひとつに、「叱ることには一定の効果がある・・・」と感じているためだと思いますが、「叱ることで、相手を正しい状態に導くことができるけれども、何らかの副作用がありそうだからやめたほうがいい・・・。」と考える人も多いのではないのでしょうか。
村中氏によれば、「叱ることで相手を正しく導くことができるというのは、思い込みです。叱ることで、学びや成長を促進したいのであれば、まったく意味のない行為です。」と言い切ります。
一般的に、攻撃を受けてストレスが強くかかると、人の中では危険回避のための生理学的反応の一つとして「闘争・逃走反応」と呼ばれる現象が起きます。
「叱る」という行為によって、行動の変化が起きるのは、この「闘争・逃走反応」そのものになりますので、熟慮型の思考能力が押さえつけられている状態、つまり、学ぶ力が低下している状態であり、自己決定などからすれば遠くかけはなれた脳の状態であると考える必要があります。
脳は、過度なストレスなどを受けているときには、知的な思考を支える脳の部位の活動は大きく低下してしまい、前頭前野ネットワークが弱くなったり、高次認知に対する分子的な損傷まであるという研究報告も数多くありますように、「相手の意見に共感し、自らの意思で行動を変える・・・」というには程遠い結果に導いてしまうという認識が必要なのだという事になります。
だからと言って「叱る・・・」ことは、まったくもって駄目であるという事でもなさそうで、本人もしくは、他者に身の危険が降りかかろうとしている時や、ひどい言葉で相手を傷つけている時などの、すぐにでもその行動をやめさせなくてはならない事態についての危機介入には有効と考えられています。
但し、気をつけなければいけないのは、その危機的な言動を終わらせたら、叱るほうも、「叱る・・・」という行為を終了させることが大切です。
まさに、「その時、その場で、その事だけを・・・」ということになりますね。
これらの事例のように、実際に伝えようとする側の本人が「どのように考えているか・・・」は、なかなか伝わらないことが多いことも現実として数多くあります。
言葉だけでない視線や体感としての非言語コミュニケーションによって、脳の反応にともなう共感につながっているか・・・が、これから変化し続ける社会にとって、失ってはならない大切なもののひとつとして考えていく必要があるのかもしれません。