2022年12月22日
「沈黙は金なり・・・」を考える

あの人とは、「意見が合う・・・」とか、「意見が合わない・・・」というような表現をよく耳にしますが、「意見が合う・・・」とはどのような状態をいうのでしょうか。
よくしてしまいがちになるのが、「どちらかの意見に合わせる・・・」という事ですが、これでは、「どちらかが折れた・・・」ということであって、「意見の一致・・・」という事では無いことは理解できますが、現実にはこの「どちらかが折れる・・・」という事で、まるく収めようとする癖がついている人も多いのかもしれません。
ある意味、ひとの数だけ価値観があって当たり前なのですから、「あなたの言っていることは理解できるけど、私はこう思う・・・」という、エンパシー型の共感が普通であることが望ましいのにかかわらず、自分の意見を言っても、なかなかうまくいかないという経験値にもとづいて避けてしまうケースも多く存在するのだと思います。
また、「目的」が置いてきぼりになってしまい、手段の違いで意見がかみ合わないという事も良くある話で、このような場合は、お互いに本来の目的にまで一緒にさかのぼることで、お互いの想いに共感できるという事も少なくありません。
しかし、意外に手強いのは・・・なかなか意思表示をしないタイプの人です。
「沈黙は金なり」という言葉がありますが、このことは対峙する関係における、駆け引きという意味では有効なのかもしれませんが、身近な関係性に於いてはそうとは言えない部分が多いような気がします。
相手が、「何を考えているかがわからない・・・」という事は、時によっては威圧とか脅威になります。
一般的には、「解らないものに対して、不安や脅威を抱く・・・」とか、わからないからこそ、「攻撃的に接してしまう。」ということは、生物の危機管理能力として持っている反応の一つです。
当然、「意思表示が少なく、多くを語らない・・・」状況にも理由があるはずです。
例えば、立場の上下があったりすると、上の立場の人は、「自分が発言することで、周りの人が言いにくくなる・・・」と勝手に考えてしまったり、下の立場の人が、場面の空気を読んでしまい「こんなこと言っても、どうせ相手にしてくれない・・・」というような、お互いに「自分の推論」のなかに押し込めてしまうことも少なくないはずです。
また、身近に感情のスイッチが入りやすい人がいたりすることで、場の雰囲気がその人の感情に流されてしまうことに対する危機意識から、あらかじめ予想されるという・・・という想いで「多くを語らない・・・」癖がついている人もいるのかもしれません。
しかしながら、この「多くを語らない・・・」という事は、お互いの関係性に於いて、心理的安全性の高い状態と言えるのでしょうか・・・?
「解ってくれるはず・・・」では、相手の「推論」の領域から抜け出すことはできません。
確かに、自身の「考え」をどのようにして示すのか・・・はこれからの時代、大変難しい問題なのかもしれません。
従来のように、「強い態度を示す」だけでは、必ずしも受け入れてもらえないという考え方は多くの方が理解しているのだと思います。
「もっと、しっかりと話をすればよかった・・・」という、想いをした経験のある方も多いのではないでしょうか。
だからこそ、相手の「推論に押しつぶされない・・・」ためにも、本来の自分を表現する意識と、自身の価値観をより明確にした上での、「誤解されないための、立ち振る舞い」が、より大切なのかもしれません。
Posted by toyohiko at 15:02│Comments(0)
│社会を考える