2023年02月03日
正当化と被害者意識について考える

物事を「正当化されてしまった・・・」、「論点をはぐらかされた・・・」という経験は、誰にでもあると思いますが、なぜそのような感情になるのかを考えていきたいと思います。
「正当化されてしまった・・・」と感じるという事は、相手とのやり取りの中で、そのように感じる言動や態度、・・・ひょっとすると態度までは出ていなかったけど、表情で感じ取った・・・という事実があったという事になります。
言い換えれば、「正当化している」かどうかは別にして、相手にそのように感じさせる何かがあったということなのです。
ここで、注目したいのが「こんなはずではなかった私」です。
例えば、路上にゴミが落ちていることに気付いたとします。あなたは躊躇なく拾うことが出来るでしょうか・・・?いつでもどこでも、どんな状況でも・・・出来るでしょうか・・・?
おそらく、答えは「ノー」なのだと思います。
ゴミは、拾ってみると解りますが、拾った後の事を考えなければなりません。見える範囲にごみ箱がある場合であれば、拾ったゴミをどう処理するかは、すぐにイメージできます。しかしながら、拾ったゴミをどう処理したらいいかイメージできなかったり、何らかの理由があり、正装していたりすれば、話が違ってきます。
普段から、ゴミ拾いなどの活動を熱心にしている人でさえ、「あえて、見過ごす・・・」という選択をする場合も実際には多いのではないかと思います。
そんな時に、突然現れてしまうのが、「こんなはずではなかった私」です。
「拾わなかった自分」をどこかで、見られていなかっただろうか・・・。とか、「本当なら、ゴミを拾っていたはずなのに・・・」という想いが、膨らんできてしまうと、頭の中では、「拾えなかった理由」でいっぱいになってしまいます。さらに、その言い訳を探し始めると、「批判されたくない・・・」という被害者意識につながってしまう可能性を考える必要があります。
被害者意識のマイナス面として、よく言われてるのが「冷静な判断が出来なくなる・・・」ことです。感情的なバイアスが介入することで、対象となる相手を加害者として見がちになってしまうからです。
険しい表情や、「でも・・・」とか「だって・・・」のようなD言葉に代表される相手に対する反発的な態度や言動は、自分を正当化するための相手を攻撃する武器として使ってる可能性を考えなければいけません
ましてや、子どもや年下の人であったり、立場が下だと思い込んでいる人の方がしっかりやっていたりしても、「こんなはずではなかった私」の矛先がその相手に向いてしまい、「プライドが傷つけられた・・・」というような想いになる事もあります。
また、何かを「一緒にやろう・・・」というような状況で、関心の程度や価値観の違いから来る取組への違いも、「やってくれない人・・・」「反抗的な態度・・・」と、その相手を加害者にしてしまうのも自分自身だったりします。
しかし、相手から身を守ったり、攻撃をしなければならない理由は、本当に存在するのでしょうか。
「自分を大きく見せる」ために、自分自身の「こんなはずではなかった私」を打ち消さなければならないという焦りによって、目の前の人の言動が、「責められている・・・」という歪みに感じ取ってしまうせいだとしたら、まさにひとり芝居です。
相手を、「許せない・・・」という感情も、本来その人が、「許す・・・」とか「許さない・・・」という問題でないことも多く、意外と他者の問題に対して、そのような感情で介入してしまうこともあります。
コミュニケーションの多くは、お互いの関係性を円滑にしたり、現実にある課題を解決することが最大の目的であるはずです。
「こんなはずではなかった私」を打ち消すために、相手に向き合ってしまえば、その感情が大きく膨らみ、勝ち・負けのような「敵を倒す」目的にすり替わってしまい、あらたな問題が生まれてしまうことは容易に想像がつきます。
「イライラ・・・」「モヤモヤ・・・」という感情の多くが、自分自身の問題である可能性を省みることが出来れば、普段抱えているストレスとの付き合い方も変わってくるという考え方も必要です。
そのためにも、被害者になる前に、加害者の存在としての「出来るはずのことが出来なかった自分」を、素直に受け入れることが出来れば、「自分を大きく見せる」ための罠にはまることなく、相手との良い関係にもつながるのかもしれません。
Posted by toyohiko at 11:13│Comments(0)
│社会を考える