2023年04月07日
ポジティブリストとモチベーション

ポジティブリスト制度とは、使用を認める物質のリストを作成し,使用を認める物質以外は使用を原則として禁止する規制の仕組みで、食品添加物や農薬、さらには包装容器の素材に至るまで、様々な分野で導入されている仕組の一つです。
この仕組みのメリットは、安全性が確立されていない物質を完全に排除でき、製品の安全のレベルを高めることにつながります。
しかしながら、新しい知見やアイディアへの対応については、「ダメなモノ・・・」を、「大丈夫なモノ・・・」に一つずつ転換していく必要がありますので、スピーディーな対応には難しい面もあります。
例えば、特定保健用食品などの保健効果の認可について、主成分などはほとんど変わらないが、味や風味の変更を目的としたフレーバーの変更によっても、認可を取り直す必要があるなどです。
この事例のように、「食の安全」に関することであれば、ポジティブリストがうまく機能することも多いと思いますが、この考え方を、社会のルールやマナー、規範意識に取り入れてしまうとどうなってしまうでしょうか。
先ほども言いましたように、ポジティブリストのリスクは、新しい知見やモノの考え方への対応が遅れてしまいがちになるため、先進的な考え方をする人たちや、新しいことに挑戦しようとする人たちにとっては「理由の説明できないルール」に陥りがちになってしまうことです。
そのようなデメリットがあるのであれば、社会制度の中にはポジティブリストはあまり存在しないだろう・・・と思うかもしれませんが、意外に多いことも事実です。例えば、学校の校則などは、ポジティブリストの考え方によって成り立っている事例のひとつかもしれません。
学校の校則で、よく言われる内容としては、髪型、靴や靴下をはじめ、下着に至るまでの様々な服装に関する指定です。注目すべきは、その指定の理由に関して、合理的理由が明確ではなく、守る方も守らせる方も・・・納得した上で、運用していないケースが多いことです。
先日、WBCで日本中が盛り上がっている中、代表のラーズ・ヌートバー選手のペッパーミルパフォーマンスが有名になりました。同時期に甲子園球場で開催された、選抜高校野球選手権で、選手が同じ行為を行い審判に注意されたという事例も記憶に新しいと思います。
この選手は、どのように感じたのでしょうか・・・
この指摘は、この選手の野球人生に対して、プラスの影響を与えたのでしょうか・・・
この審判は、ひとりの人として、目の前の選手の今後の活躍を願い、堂々と指摘したのでしょうか・・・
「世の中には、理不尽なこともあるのだから・・・その理不尽さを教えてあげなければならない」という考え方をする方も、まだまだ多いことも事実です。
その「理不尽さ・・・」が生み出すものは、いったい何なのでしょうか・・・
その「理不尽さ・・・」が生み出したものの責任は、誰がどのようにとるのでしょうか・・・
そのような人ばかりではないと思いますが、多くの人はこのような、「訳の分からない指摘をきっかけに・・・」余分な事はやめておこう、というスイッチが入ってしまうことも多いと思います。
この、「余分な事・・・」は、本当に余分な事なのでしょうか・・・
本当は、この「余分な事・・・」こそ、新しいアイディアや、挑戦そのものだとしたら、このように、ポジティブリストのルールに縛られることで安心しているが故の社会への代償は、思っている以上に大きいのかもしれません。
理不尽なルールによってなされた指摘や沈黙も含めた様々な行為は、その相手にとって、「自分の気持ちを理解してくれなかった相手」の一人として映っていることを理解する必要があります。
そして、その代償は、自らに降りかかってくるのです。
指摘した方からすれば、「上に言われたようにしただけなのに・・・」とか、「自分の立場ではどうしようもない・・・」という状況があることも事実です。
「自分は、そんな責任はないのに・・・」と思うかもしれませんが、何故、「自らか・・・」と言えば、そのようなコミュニケーションの一つひとつは、自らの目の前で起こるからです。
そして、そのやり取りの先には、「この目の前にいる人は、責任を取るつもりがないんだな・・・」というように映るという事も残念ながら、厳然たる事実です。
そして、目の前の相手の言行不一が、「お前だけには、言われたく無い・・・」という感情を相手との関係性の中に、不用意に介入させてしまうことで、相手のモチベーションを奪ってしまう可能性も考えなければなりません。
だからこそ、「なにを守ろうとしているのか・・・」、「その規範によって何を損なうのか・・・」を自らが明確に意識する必要があります。
仮に、守ろうとしているものが、自身の立場や権威であったとしても、それすら守れない・・・という事もあるのではないのでしょうか。
やりたいことが出来るからこそ、「成功させたい」という想いが湧いてくるものです。非認知能力と言われる、やり抜くチカラや正解のないものに取り組む姿勢の醸成に、ポジティブリスト的な考え方が大きなリスクとして関わっていると考える必要があるのではないでしょうか。
Posted by toyohiko at 09:42│Comments(0)
│社会を考える