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2023年09月08日

ルールと合意形成について考える

ルールと合意形成について考える

 社会には様々な、「ルール」と呼ばれるものがあります。また、ルールと一言でいいましても、法律のような厳密なものから、校則・・・更には、忖度や暗黙のルールと言われるような、実態がはっきりしないものまで様々です。

そのルールにもそれぞれの目的があると思いますが、その目的については、「全ての人にとっての利益につながるか・・・」と考えてみると、残念ながらそうではありません。

 とはいえ、「何かを守るため・・・」という目的は、ルールという存在の共通目的のような気がします。

 例えば、「自由と公正を勝ち取るため・・・」、「少数の方々を守るため・・・」や、「既存の社会構造を維持するため・・・」であったり、さらには、ブラック校則といわれるような、「理由はよくわからないけど、何も起こらないようにすることで、物事を穏便に済まそうとするため・・・」など、様々です。

 近年目立つルールとしては、社会の構造が複雑になってくるとともに起きている法制度とのギャップを逆手に取り、一部の人間が不正を働いたり、不当な利益を得ようとすることに対する対応として、物事の手続きが複雑になったり、本来の受益者がそのためのコストを負担するようなケースも増えてきているような気がします。
 そこには、ルールを無視したり、抜け穴を利用し、個人的な利益を優先するようなフリーライダーと言われる存在があり、「わがままのコストを、善意で賄う・・・」というような構造になってしまっていることも事実です。

ゴミの不法投棄に対する対応や犯罪抑止のために、社会の仕組が複雑になり、且つ、経済的にも負担増になってしまうというような事例も、このようなケースの一つだと思います。
 
 また、環境や健康にかかわるような分野では、目の前の被害の抑止を優先するか、長期的な持続可能性を大切にしていくかでルールによって守られるものが異なってきます。

 ルールは、本来そこに関わる人全員で決めるというのが理想です。しかしながら、全員の合意ということは難しいために、多数決というシステムを用いることで民主的に合意形成していくということを多くの場面で取り入れられていますが、少数意見をないがしろにしてしまうことによる社会構造の歪みに対する懸念が置き去りになってしまうことなどから、「多数決」というシステムに対する見直しの議論も出てきつつあるようです。

 ルールに対する理想的な付き合い方は、「決める過程においては、様々な議論を大切に・・・」、「決まってからは、その方針を守る・・・」ということだと思いますが、残念ながら、そうはならないことも多いのが現実です。

 「決まっていく過程が、不透明・・・」、「そもそも、決まっていくシステムそのものが、声の大きい既得権益者によって大勢を占められていることで、心理的安全性が保たれない状況の中で決まっている・・・」、「そんなこと、何も聞いていない・・・」など、様々な意見や、感情によってそのルールがうまく運用されないケースも数多くあるのではないでしょうか。

 どんなルールにも、そのルールに関わる人全てにとって良い結果となる事は難しいことになりますので、当然、「納得できない・・・」という心理が働く人もいると思います。

 このような心理は、ルールによって守られるものが、そのコミュニティにとって正当性の無いものとして認識されてしまうからなのだと思います。たしかに、権力を維持するためのルールが存在していることも現実です。

 その一方で、そのルールに対して受け入れられない人たちからの、攻撃に対して対抗するために、相手からすればさらに偏ったルールで対抗するというような事は、人間社会の長い歴史の中で絶えることなく続いています。

 そして、「聞き入れてくれない・・・」という感情をぶつけることで、より良い提案としての訴えも、単なる「文句」としてしか聞こえなかったり、相手にとっても「文句を言っている奴ら・・・」と解釈されてしまうことで都合よく利用されてしまう場面などもあったりします。

 その結果、このような悪循環が対立や暴力に及んでしまうことも事実です。

 このような事態に陥らないためにも、それぞれのルールに対する合意形成こそ大切にしていく必要があるのではないでしょうか。

 しかしながら、多くの場合、「ルールは自分たちが決めるもの・・・」というような、無自覚な特権意識が介入することで、そのプロセスにおいて合意形成がないがしろにされ、ルールがあるが故の分断というような状況が起きやすくなってしまいます。

 こうして考えれば、ルールを作る側が、様々な意見や反論を避け、合意形成をないがしろにすることで、その作る側が追い込まれるという構図はおのずと見えてきます。

 だからこそ、作る側が、合意形成のプロセスを大切にし、「守るべきもの・・・、大切にすべきもの・・・」に対する共通の認識を持つことは、作る側にとって最もメリットがあると考える方が良いのではないでしょうか。

 「丁寧な説明・・・」というフレーズを、最近よく耳にします。しかしながら、後出しじゃんけんのように、このようなフレーズを聞かされても、素直に受け入れられないという感情にもなってしまいます。

 先ほども言いましたように、誰にとっても良い結果となるルールは、なかなかありません。「一旦、決めたから・・・」といって、そのまま変えずに放置するという状況はあってはならないのです。
だからこそ、うまくいかないルールは、合理的な判断のもと、ルールを決め直す・・・というサイクルを多くの知見や意見を取り入れながら何度も回し続けるということが必要です。

 合意形成をないがしろにしてしまったことで、そのルールが合理的な判断による行動のガイドラインではなく、感情による無意識の偏見・・・の要素が入ってしまう可能性があるのであれば、合意形成のプロセスこそ大切にしていくべきなのかもしれません。





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Posted by toyohiko at 14:38│Comments(0)社会を考える
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