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2024年01月12日

幸せにならなければいけないのか・・・を考える

幸せにならなければいけないのか・・・を考える


 「生きづらさ・・・」という表現を耳にすることが多くなってきたと思う昨今・・・、幸福でなければならない、それゆえに「失敗が許されない・・・」「失敗させてもらえない・・・」という強迫観念や社会全体の閉そく感に苛まれてしまっていると感じることもあるのではないでしょうか。

 確かに、幸福は素晴らしいものであり、大切なものです。

 現実に幸福の利点に関する研究も多く、幸福な人たちは、社交的で、 探索好きで、独創的で、健康であることが多く、「人間のもっとも自然な安定状態だ・・・」とも言われています。
 特に健康面で言えば、幸福感の高い人は低い人に比べて、風邪を発症する確率が50%も低いというような報告もあり、 幸福感は免疫機能を高める効果があるとも言われています。

 このように、幸福感は非常に価値あるものと考えられていますが、実は、そうばかりとも言い切れない・・・というような研究報告もあるようです。

 そもそも、幸福には「感情」の要素が含まれており、喜び、情熱、満足感など、個人が主観的に体験するものと定義づけられています。そして、「誰かが幸せそうだ」と見える時は、その人が頻繁にポジティブ感情を表していて、ネガティブ感情を見せることが少ない状態とされています。

 京都大学こころの未来研究センター内田由紀子教授によれば、「幸福のネガティブ面」は主に二つあると言います。

 ひとつは、一人の幸福による影響が他者に及ぶことで、社会の調和を崩してしまうことです。

 幸福に関する実証実験によれば、「幸福になりたい・・・」という願いが最も強かった人たちほど、孤独感が強く、憂うつで、目的意識も低いという報告もあります。更に、ポジティブ感情も少なくなり、EQも下がっていたというのです。

 「幸福になりたい・・・」という願望は、視点を変えれば自己中心的な思考とも言えます。自分の幸福感とポジティブ思考だけを大事にすると、他者のことは二の次になるので、恋愛関係、家族関係、友人関係の質が損なわれていくということからすれば、ある意味当然の事なのかもしれません。

 仲間と一緒にいるときに「貴方だけ、特別なサービスをご用意します・・・」と言われたらどうでしょう・・・?

 「愛情」とは、人のために自分の幸せを喜んで犠牲にすること・・・
 「愛」とは、他者の視点を取り入れてものを考えること・・・

 とも言われています。誰かが愉快な話をしていたら、頭の中で「これをパートナーや友人に話してやろう。きっと楽しいだろう・・・」と思って、さらに楽しい気分になるかもしれません。
 自分の幸福に価値を置きすぎることはその妨げになり、その結果、孤独などの不幸な副産物が手元に残るというのです。

 もうひとつは、「幸福」という幻想にとらわれすぎることで、現実から目を背けてしまう「現実回避」の傾向が顕著になる事です。このように幸福感にむやみに高い期待をかけることは、別の形で、幸福や成功を損なうことにつながるというのです。

 世の中は予想もつかない動きの連続であることは多くの方が理解しているかと思います。だからこそ、あなたがたとえ礼儀正しく会話上手であっても、電車でたまたま言葉を交わした人が、挨拶もせずそのままさっさと、降りてしまうこともあります。

 コントロールできるのは自分の態度だけであって、相手の感じ方、行動、反応はその人次第であることは、理解していたとしても過去の成功が自分の実力だと思い、幸運や周りの協力のことは忘れてしまうのです。

 逆に失敗は状況のせいにして、どうしようもなかったのだと考える。こういう楽観的なバイアスがあると、幸福感とモチベーションを維持するには役に立ちますが、過去の過ちから学ぶことはできません。そしてさらに期待を膨らませて進んでいくことになるのです。

 さらに、幸福のための選択をする上で、考慮しなければいけないバイアスがあるとも言います。
「欲しい」と「好き」という、二つの感情を一緒のモノだと考えてしまい、「何かを欲しい」ということと、「何かを好き」ということの違いによって起きる「欲しい/好きバイアス」と言われるものです。

 脳神経科学の分野では、「欲しい」という心理と、何かが「楽しく感じられる」とか「好きだ」というのは、それぞれ別の部分の脳の働きであり、異なる心理プロセスであることが明らかになっています。

 「欲しい」「満足したい」という強烈な欲望に押されて買い物をしたり、人生の大事な選択を行ったりする時に、それが長期的に見てどういう結果になるかを予見する能力もなく、慎重に考えずに行ってしまうことはないでしょうか。

 幸福に関しては、この「欲しい」と「好き」の違いは特に重要と考えられています。

 私たちはこの2つを同じものだと思い込みやすいために、手に入れた後もそれをずっと好きなはずだと考えるのですが、何かを欲しいという想いや、満足をしたいという際限のない欲望は、さらなる次の欲求に変化していくのです。

 「欲しい」と思って何かを手に入れたその瞬間から、その高まった欲求は鎮まり、それを好きだという気持ちは変わらないが、かつてそれを求めた時ほどの強い気持ちはもうないという経験を多くの人がしていることからもいえることです。

 幸福を願うことは確かに大切な事だと思います。しかしながら、幸福感を求めすぎるゆえのデメリットを考えれば、やみくもに求めることも考え直す必要があるのではないでしょうか。
 
調査によると、人は誰でも自分は他の人間より出来がいいと思っているそうで、「人並み以上効果」と呼ばれています。言い換えれば、ほとんどの人が「自分は平均以上だと考えている・・・。」ということです。
 例えば、車の運転技術に関して尋ねた別の調査では、回答者の99%が、自分の運転の腕は平均以上だと答えています。

 このような「虫のいい思い込み・・・」があるからこそ、私たちは不確定でやっかいな現実に立ち向かう自信が持てることも事実であるということを考えれば、幸福感とは良い距離感を保ちながら付き合っていく事が必要なのかもしれません。

 かつて、P. ドラッカーが「幸福はもういいから、やるべきことをやれ」と皮肉にもとれるような言葉を残したと言われています。
 幸福という思考や感情は、現在自分自身がどのような状態なのかを示すシグナルのようなものと捉えることが大切です。
 そのシグナルそのものをコントロールするかのようなことを人生の目標にしてしまえば、自分自身のしていること自体の魅力が損なわれるばかりではなく、良い結果にもつながりません。

 もし、「幸せでありたい・・・」と思うなら、幸せになりたいと頭で考えることをやめ、身を入れて目の前の人生を生きることの方が、むしろ近道なのだと思います。
 ポジティブになろう、ネガティブを避けようと必死に頑張ることは無益なだけでなく、自分を取り巻く世界に見いだせるはずの喜びや関心、そしてその意味が、見えなくなってしまうからです。






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Posted by toyohiko at 10:47│Comments(0)社会を考える
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