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2024年02月16日

生態系ネットワークとミティゲーション

生態系ネットワークとミティゲーション


 生態系ネットワークという言葉はあまり馴染みが無いかもしれませんが、「もともとあった自然が、開発などで人間によって分断、孤立してしまった状態を、緑地や水辺による面的ネットワークによって、生物の移動や避難のための道をつくることで、生態系の創造や保全につなげること」とされています。

 そのための具体的な手法の一つが、「まちなかビオトープ」という考え方です。

 そもそも、ビオトープとは、Bio(生き物)とTop(場所)からくる造語で「それぞれの地域の、野生の生き物の生息空間」を意味する言葉です。そこに「まちなか」という言葉がつくことで、「目の前の環境に生物を呼び込む・・・」という意味に対して、特定の種について分断された生息環境を「つなぐ・・・」という意味が込められてきます。

 例えば、誘鳥木という考え方があります。誘鳥木とは、特定の種の鳥が好む実や花をつける果樹や、周りを見渡しやすい高木などを上手く配置し、野鳥が集まりやすい樹木の植栽を促すという方法です。

 特に鳥の誘引については、植物の種子や、水辺であれば水生生物の卵も一緒に運んでくれるということもあり、大きなビオトープをつくる際には、鳥類の誘引を意識的に行われることはよくあります。また、トンボのような昆虫であれば産卵用の簡単な水槽のような水辺に止まり木をつくるだけで誘引することができますので、庭先やベランダで簡単にビオトープをつくることも出来ます。

 ここで、重要なのは「飼育」と「ビオトープ」との違いを理解することです。

 飼育の場合は、閉鎖された空間で給餌をするということが前提になりますが、ビオトープでは、この二つを行わないことが原則になります。

 給餌をしないということは、誘引したい生物種の性質や捕食の嗜好に合わせた空間づくりをしていく必要がありますので、誘引したい生物が好む植物を植栽したりすることも方法のひとつになります。

 また、外界との空間的な分断をしないということが、生物種の避難先や生息域の拡大につながることで生物多様性にとっても大きなメリットにつながるとともに生態系ネットワークの一部にもなるのです。

 特に、まちなかと言われる市街化されたようなところでは、生物にとって過酷な環境になってしまいます。たとえ、公園のような緑地があったとしても種固有の移動可能距離圏内に居場所がなければ、「孤立した環境」ということになってしまいますので、庭先やベランダにもちょっとした生物の居場所を意識していくことが生物多様性の保全につながるという考え方を大切にして欲しいのです。

 また、「つなぐ・・・」だけでなく、棲み分けが必要な場合もあります。

 里山を利用する生活をしなくなった、現代では人間の生活圏と大型野生動物の生活圏の境界線の緩衝帯が無くなりつつあることに対する懸念が高まっています。
 熊の生活圏内への侵入の問題についても、熊の捕食するための団栗の不足という問題が議論されていますが、団栗不足の原因の一つは鹿の増加であり、鹿の増加は過疎化による猟師の減少という、野生動物の環境の問題だけでなく、人間社会の問題でもあるのです。

 これらのように、一見、自然環境の問題のように見えていても、過疎化や限界集落によって地域コミュニティが崩壊し始めている結果のひとつである、とすれば社会的なアプローチによって解決の方向性を示していく必要があります。

 フランスのように「住民の移動の権利」を法律的に保障するという考え方によって過疎地の公共交通インフラに対して、従業員やその家族の通勤などで利益を享受している企業などが広く薄く支え合うことでインフラを支えているように、大型野生動物の生活圏への侵入についても同様の考え方が必要なのかもしれません。

 大型野生動物との緩衝帯をつくり直す活動として、大型野生動物が捕食するために団栗が生るような落葉広葉樹を植樹するような活動もありますが、これらの活動が、一部の善意によって支えられる活動ではなく、人間の生活圏を維持するための必要な措置として、より多くの人たちが仕組みにのっとって関わっていかないと手遅れになる、という考え方で対応していく必要があるのです。

 外来生物や絶滅危惧種の問題も同様です。「外来種」=「悪者」という図式により「いけないものは敵視するのが当たり前・・・」という短絡的な発想を植え付けることの影響については考え直さなければならないことは前提として、人間社会を中心とした生態系に具体的に及ぼす悪影響は、最小限に留める必要があります。

 そこには、「種」の人気や可愛らしさ・・・によって左右されるものではなく、その環境における「種」の保存の妥当性を正当に評価することが大切かと思います。
 
生態系というシステムは、複雑かつ絶妙なバランスによって支えられています。それ故に、人間の文化的で快適な生活と生物多様性との両立はなかなかうまくいかない現状があることも事実で、とくに大規模開発に伴う、森林の消失などは地球規模の脅威になっています。

 そこで、その両立のための方策のひとつとして提案されているのが、ミティゲーション(mitigation)という考え方です。
ミティゲーションとは、英語で「緩和する」「軽減する」「鎮静する」「低減する」などを意味する言葉で、環境分野では、人為的行為が自然環境に与える影響を緩和するための保全措置を意味します。

 企業や行政が関わるような開発行為に対しても愛知県では「あいちミティゲーション」という考え方で、開発などにおける自然への影響を回避、最小化し、それでも残る影響を代償するという順番に則って検討・実施する方針を示しています。

 そこで、大きな期待を寄せるのが、企業の存在です。
 企業が、生態系の保全に関わることには二つの意味があると思います。

 一つ目は、「企業には、人を育てる力がある」ということです。SDGsの考え方が浸透していきつつある中、自らの収益性のみではなく、社会全体での役割を考える企業も多くなってきました。そのような中、地球環境全体を考えることが出来る人材育成も企業としての役割になりつつあります。

 二つ目は、「企業は、経済的かつ空間的な資産を持っている」ということです。その資産に対して生態系ネットワークの視点を取り入れることで生態系のバイオキャパシティ再生にも大きな影響を与えることが出来るのです。

 環境問題は、人間が考える以上、「人の気持ち」というものに大きく左右されます。だからこそ、日常生活の様々な場面で「自分自身も生態系の一部である・・・」という視点を持ち続けることが重要になってきます。

 そういう意味でも、企業の役割をはじめ、自分自身の役割の一つとして、生態系ネットワークの創造は、今すぐにでも出来ることのひとつなのではないでしょうか。




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