2024年04月26日
心理的安全性の落とし穴

「心理的安全性」というキーワードは、近年多くの場面で耳にするようになってきました。その理由の一つとしては、「昭和」という言葉で揶揄されるような、古きヒエラルキーが、チームの硬直化を招き、近年における組織の衰退を招いているという考え方が大きくなってきたからなのだと思います。
チームにおける心理的安全性とは、自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態や、個人が自由に意見や感情を表現することができる環境をあらわします。
このような心理的安全性が高い環境では、個人が失敗や間違いを認め、学び、成長することが容易になり、チームワークの向上とともにイノベーションも活性化され、パフォーマンスが向上すると言われているからです。
しかしながら、この考え方についても心理的安全性を、単なる「和気あいあいとした雰囲気づくり」や「和やかな職場風土」と誤解してしまうことで、上司は厳しいフィードバックを避け、メンバー間では過度な慰め合いが進み、結果としてチーム全体の成果志向が低下してしまい、成長の機会を阻害してしまうといった状況に陥ってしまうリスクがあるということです。
ビジネスを含め多くのチームにとっては、「求められる成果」を達成していくことでそのチームの存在が維持継続していくものです。
つまり、成果を出さねばならないチームにとっての心理的安全性とは、リスクを恐れずに意見を言える状態を示すもので、決して部下や同僚を甘やかすことではないということなのです。
当然、改善して欲しいことがあっても厳しいことを言わず褒め続けたり、飲み会を開催して家族のような関係を築いたりすることでもありません。
また、「何でも言っていい・・・」という考え方も、全ての言葉や行動が容認されるという意味ではありません。
そのような状況に陥れば、時には差別的な発言や攻撃的な態度を許容するような風土になったり、それらの態度や言動によって特定の人たちの被害者意識が増長し、周りからも腫れ物に触るような扱いになっていくなど、結果として心理的な安全性が損なわれる可能性があります。
個々の自己表現の自由と他者への尊重の両方が重要なのは言うまでもありませんが、人は、「男性と女性・・・」「若者と年寄り・・・」「文系と理系・・・」など自分の都合の良い属性に何かをはめ込むことで安心する傾向があります。
そういった日常的なバイアスが、多くの場面において相手への過剰な配慮や不敬に繋がってしまっていることも現実です。
「個性は性差を越える・・・」という言葉が示すように、属性に惑わされずに一人ひとりに対してしっかりと向き合うことも大切なことの一つです。
心理的安全性がもたらす良い効果としては、メンバーが自由にアイデアや意見を出し合えることで、チーム全体の意思決定や問題解決がスムーズになりチームワークが向上することです。
また、メンバーが自分の考えやアイデアを恐れずに表明できることで、新しいアプローチや発見が生まれやすくなるという創造性とイノベーションの向上やフィードバックを受け入れる文化や建設的なコミュニケーションにつながります。
さらには、メンバー間のコミュニケーションが円滑になり、感情や意見を自由に表現できるため、ミスや誤解が少なくなるというコミュニケーションの質の向上にもつながるのです。
このような効果だけであれば、心理的安全性が高いほどいいということになるのですが、いっぽうで、高すぎることによるデメリットも指摘されています。
一つ目は、合意形成をしていく上で「周りの意見の尊重・・・」という思考のもと、自身の意見に対して、異なる視点からの議論が抑制され、チーム内での多様性が損なわれる可能性です。
二つ目は、「失敗やミスを恐れずに・・・」という考えのもとで、自身の責任を回避する傾向についても懸念されています。結果に対する責任回避の思考は問題解決や成長の妨げにもつながってしまいます。
このような状況を繰り返してしまうことで、挑戦的な状況や意見に直面する場面が少なくなるために個人やチームの成長が停滞することについての懸念も指摘されています。
つまり、心理的安全性には全ての意見や感情を尊重する一方で、差別的な発言や攻撃的な態度についても、お互いに配慮したり、指摘し合うなどの双方向性を意識した上でのバランスが大切であると同時に、成果を意識することなく形のみにこだわってしまうことが、チームのメンバー各々の自己改善の機会を奪い全体のパフォーマンス低下につながることを忘れてはならないのです。
「あたたかさ」と「厳しさ」という相矛盾するふたつの要素のバランスこそが、求められる姿なのだと思います。
Posted by toyohiko at 08:52│Comments(0)
│社会を考える