2014年08月09日
夕立ちとヒートアイランド

「夕立ち」と言えば、夏の風物詩のひとつでしたが、今では過去のものというような感じがしてしまうのは、なぜなのでしょうか・・・?
今では、「夕立ち」というよりも「ゲリラ豪雨」という表現のほうが馴染みのある名前のような気すらしてしまいます。
しかしながら、この「夕立ち」と「ゲリラ豪雨」とは、気象のメカニズムが少し違うような気がするのです。 地表の、水分が蒸発し積乱雲となり、雨が降るということは同じなのですが、夕立ちの場合は、一日の温度変化の影響を強く受け比較的狭い範囲で、短い時間雨が降るというような現象だったような気がします。
そのため、降っているところとそうでないところが普通に存在していましたし、しばらくすると雨がやむという前提で、雨宿りをした記憶があります。
そうして考えると、以前のような雨の降り方というのが、少なくなったような気がしてなりません。
「以前と、現在の違いはなんだろうか・・・」と考えた時に、圧倒的な違いがあるのが自分たちの周りの、舗装率なのではという気がします。
舗装というものは、現代のクルマ社会においては、ある意味なくてはならないものになってきています。周辺の砂埃、振動による車両の劣化、汚れを含めた衛生面の問題など、豊かな社会生活を送るための利点というものが沢山あります。
その一方で、昔と今との水循環がどのように変わったて来たかを考えた時に、本当にこのままで良いのだろうかという疑問が残ります。
雨が降った場合に、その昔では地中に浸み込んだ水が蒸発し雲になったという循環が、今では、コンクリートの溝を通り抜け、下水に入り込んだり、河川に入り込んだります。
しかも、途中で浸み込むことも以前と格段と少なくなりほとんどの雨水が流れ込みます。しかも、舗装路やコンクリートは持っている熱量が高いために、残った水はすぐに蒸発してしまい、行ってみればプランターの中のような状態になっているのではないでしょうか。
さらに夏場などは、エアコンなどの空調設備の熱交換の影響によって地表はさらに温められ、いわゆるヒートアイランドという状態になっています。
このような社会環境の変化によって、自分自身の生活の周りの水循環を考えてみても大きな違いあると同時に、私たち自身に及ぼす、影響も変化してきているのではないのでしょうか・・・?
現に、「ビル風」という言葉があるように、規模の大小はあるにしても人工構造物の気象への影響というのはある意味周知の事実だともいえます。
また、早くから、下水設備が敷設された都市では下水道の老朽化に伴い、補修も含め負荷軽減が必須課題になっています。さらに、その対応策の一つとして学校などの大型の公共施設の地中に雨水の貯水タンクを設置している自治体もあります。
しかし、河川の流域面積とそこに流れ込むことができる河川の最大流量を考えた時に、治水の面から考えてみても抜本対策になっているのだろうかと思うことがあります。
私たちの、周りの環境の全てにおいて水の循環に関わっています。当然、そこには私有地や社用地など、行政ではどうにもならない面積というものが沢山あります。
都市化という豊かな利便性の中でこれから失われるかもしれない追いやられてしまった「水の反撃」に合わないためにも、身近な範囲で、「地表が水を蓄え・・・、蒸発し、雨となって、再び恵みの水となる・・・」という循環になるように、皆ができることを少しずつやってみよう・・・ということが必要になっているのかも知れません。
手遅れになる前に・・・
Posted by toyohiko at 14:00
│地球を考える