2013年11月11日
食品表示とネット社会

最近、メディアを賑わせている百貨店や有名ホテルでのメニュー「誤表示」問題・・・。メディアからの情報を見ていると「誤表記」といったり「偽装」という言葉を使ったり、ある意味、言葉遊びのような印象さえ受けてしまいます。
最近の報道の中でも、「○○産の・・・が、実は△△産という・・誤表示が・・・」という表現がありましたが、これは明らかに産地偽装と言われる範疇のものであるような気もするのですが、一つ一つの言葉を丁寧に使わなくてはいけない報道の分野でさえ、曖昧な表現になっています。
何故、このように曖昧な表現がまかり通ってしまうのかといういことを私たちはしっかりと考えなければならないような気がします。
今回の、問題については、景品表示法という法律を中心に議論しているように思いますが、食品表示法という観点からすればまた違う観点が出てくる案件もあるのではと思うようなものもあるのではと思います。
しかしながら、食品の世界においても製造過程での技術的進歩が早かったり、原材料や食材の調達先においてもグローバル化が進み、文化や習慣の違いから、安全で安心なものを提供するためには、解決しなければならない新しい問題点も数多く出てきます。
これらの問題も、ベネフィットという観点での消費者利益を考えれば出来るだけスピード感を持って解決していくということが求められるということがあります。そこために、「既製の法制度の解釈の違い」という解決方法が優先的に進められているとすれば、それぞれに整合性が取れなくなったり、長期的な視点での本質的な消費者利益が損なわれることにつながる可能性があります。
現状の法制度では、合成酸化防止剤としてアスコルビン酸やアスコルビン酸Naを添加していても、製造したメーカーの方針次第で「ビタミンC」と表記できることになっています。言い換えれば、化学合成の添加物がそうではない表現で食品に添加されていても法律的には問題ないし、一部の製造メーカーにおいては意識的にその法律を利用しているという話も聞くことがあります。
また、海外調達の穀類の一部には、基本的に大きな規模で加工流通の仕組みが成り立っているために、複数の産地のものが入混ざっているというのが暗黙の了解になっているおり、遺伝子組み換えの種子を使ったものかどうかということの種別が極めて困難であるという話もあります。
こうして考えると、ある程度の曖昧さがないと実態の流通が滞ってしまうという現状があるのだとすれば、今回の誤表示の問題の当事者はもとより、現状の制度が社会に適合しているかという問題もあるような気がします。
インターネットの世界もそうですが、今では一人に一台以上何らかの通信機器を所有し、小学生までがネット検索を日常のようにしているという一方で、中高生の中ではネット依存症と言われる社会問題まで出てきています。
「こんなに急速に、物事が進むと思わなかったので制度が追いついて行っていない・・・」という言い分もあるかもしれませんが、進化するスピードを促進するための制度があることも事実です。
「まあ、なんとかなるだろう・・・」という発想では、先になればなるほど社会システムの修復は難しくなるのではと思います。
今回の「誤表示」問題、一番嫌な思いをしているのは、真面目に誠実に食品に提供している人たちだと思います。実際に スーパーやコンビニエンスストアに立ち寄ると、よく売れるものは確かに陳列されていますがより安全なものや、特定の地域を応援したいと思うときに必要な情報や選択肢が無い・・・と思うことがよくあります。その人たちの誠実さが、消費者の選択肢として目に見えるような形になれば、良い方向に向いていけるような気がします。
Posted by toyohiko at 11:45
│社会を考える