2017年04月28日
教育と経済の関係を考える

近年、乳幼児期の公的資金の投資に対する関心が集まってきていますが、その中でもノーベル経済学賞を受賞したワシントン大学のジェームス・ヘックマン教授らの研究が注目されています。この研究によりますと、就学前の経済的に恵まれない子供たちを対象に、特定の教育プログラムを受けたグループとそうでないグループで、20年後の比較調査をしたところ、「犯罪率の低下や、社会保障費受給率の低下につながった・・・」という結果が報告されています。
その報告によりますと、「1ドルを幼児教育政策に投資すると、21歳では7倍、40歳のときには16倍の経費節減になる。」という試算もあり、日本財団の子どもの貧困対策チームの試算では、国内で、現在15歳の子どもの貧困を放置することによって国家の財政収支のマイナスが1兆1000億との予測がなされています。
そのような、問題提起がなされている中、全国WEB調査をもとにした、「教育行政および費用の比較社会的研究」によると、増税による施策強化を支持する人の割合は、上位の五つは医療75.6%、介護71.6%、年金66.2%、教育(公立中高整備)48.9%、教育(大学進学)28.8%と教育に関する投資の意識は高くなく、日本は「教育劣位社会」と言われているそうです。
しかも、幼児教育に関しては、この上位5つには入ってこず、「社会的関心事とは言い難いもの・・・」と言わざるを得ないという状況は否めないのが現実です。
報道においても、「保育園が足りない・・・」「保育園建設に地域の理解が得られない・・・」という見出しは、珍しいものでは無くなってしまいました。
これらの、現状認識については「日本特有の考え方が関わっているのでは・・・」と言われています。ひとつは、「〇〇大学出のくせに・・・」というような、揶揄に近いような表現が、珍しいことではない現状からしても、高等教育の学習の効果が誤った形で世論が形成されているために、「大学教育は役に立たない」と世間から思われている傾向が高いことが挙げられています。
これは、高等教育を受けず成功した「ごく僅かな人の事例」がクローズアップされすぎているために、「勉強する」ということについてネガティブなイメージに引き寄せてしまい、正当な評価がなされにくいことがあると言われています。
さらに、高等教育での効果として、「習った知識そのものが役に立っているか・・・?」への期待値が、本人も周りも、あまりにも大きすぎて、「しっかりと学習(自己学習)した経験があるか・・・」という本質的な効果である「学び方を学ぶ」ことの重要さを評価されにくいことにあるような気がします。
その一方では、企業等では「指示待ち人間」という言葉を用いて「自ら学ぶ事を要求」しているという矛盾も見受けられるのです。
日本では、「3歳児神話」にはじまり、子どもの成長に関わる「慣習的行動規範」が強く、エビデンスの少なさが指摘されていますが、幼少期等の早い段階で、「周りの環境も含めた、ロールモデル」に学習意欲が大きく左右されているということは、多くの研究者のなかで指摘されています。更に、ヘックマンの研究でも「幼少期における、情動的スキルの形成の重要性」についても言及されており、幼児期の成長のサポートに関するしっかりした研究の積み上げが必要だと思います。
文科省の「今後の幼児教育の振興方策に関する研究会」の委員でもあり、ヘックマンの「幼児教育の経済学」の訳者でもある大阪大学の大竹文雄教授は、「日本においても、就学前教育への支援、とりわけ貧困層への支援に対して、税金を投入することが他の公共政策と比べていかに投資効果の大きいものであるかを説明していくこと」の必要性を指摘しています。
「怒るは知恵のゆきどまり・・・」という言葉があります。
人間が、「怒り」感じるときの要素の一つとして、「知識や知恵の無いことに対する防御・・・」なのでは・・・と感じることがあります。
「不寛容社会」という言葉が聞かれるような時代、「子どもを育てる」という視点から様々な社会不安の解決の糸口になる可能性もあるのではないでしょうか。
Posted by toyohiko at 16:50│Comments(0)
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