2017年05月05日
「教育・勤労・納税」とワークライフバランス

「教育・勤労・納税」と言えば、国民の三大義務として多く方がご存じのことと思いますが、この3つの順番でしっかりとした、責任と義務を果たせば「納税」という国家を支えるための責任を社会的に果たすことができるという意味でもあります。
J.ヘックマンの「幼児教育の経済学」で言うところの、幼児教育の経済学的な重要性もある意味同じで、教育をしっかり受けていることで、社会的な分業として「勤労」とし役割を担うことができ、さらに「社会保障のお世話になる場面が少なく済む・・・」人たちが、少しでも多くなれば、経済に対しても負荷も少なくなるために、「教育に対する経済的効果は高い」ということになります。
しかしながら、「納税」はともかくとして、「勤労」と「教育」に関しては、当時とずいぶん意味合いが違ってきている様な気がします。
以前は、「勤労」といえば、商いという規模のものを指して居たような気がしますが、現在では、「勤労=就職(就社)」という観念を持っていることが多くを占めていることは、言うまでもないと思います。
言いかえれば、「会社という組織でどのようにうまくやっていくか・・・、」の方に重点が置かれ、家族や社会とものが置き去りになっていることも少なくないような気がします。
中でも、「転勤」という日本特有の仕組みについては、あまり疑問を持つ人がいないという現状もあります。
得に「単身赴任」や家族が別々の世帯で生活をすることが当たり前であったり、「転勤族」といわれるような数年で転居を伴うような勤務地の移動が当たり前の方々も少なくないのが日本の現状ですし、ある意味、そのような移動を「ビジネスキャリア」としてとらえている方も少なくないような気もします。
大企業の様な組織の運営がスムースに行われるためには、「家族や地域社会よりも組織の方が優先」という、ある意味「同調」ともとれるような、一定の規範意識が必要なのかもしれません。
その一方で、企業同時での競争を勝ち抜いていくためには、「相手と同じことをしない・・・」というような、差別化や地域のニーズが求められています。
最近は、共働き世帯が6割ともいわれる中で、「転勤」という仕組みが、配偶者やその家族に与えるマイナスの影響が顕在化してきたこともあり、一部では、転勤にかかわるコストも含めて、社会学者や経済学者が研究を始めているそうです。
また、その手前の「教育」では、「良い学校(大学)に入って、良い会社に入るため・・・」という価値観が、趨勢を占めてきたこともあり、「勝ち組」に残るための手段としての位置づけになりつつあると言っても過言ではないような気がします。
実際に、義務教育課程において多くの児童生徒が習い事や学習塾に奔走し、大学入試に対して「テクニックを磨いている・・・」とい傾向も言いすぎとはいえない状況もあります。
しかしながら、その「一生懸命に学んだ結果・・・」が「組織の一員として、組織を守る」事だとしたならば、将来に向けての「ライフスタイル」について考えた方がいいのかもしれません。
確かに、生活の手段としての経済基盤は大切なものです。しかし、「生活の手段」である以上、仕事は目的ではなく、「手段」であっても良いような気がします。
とはいえ、自営業であっても、給与所得者であっても「職場での時間」は一日の多くを占めることは間違いありません。その時間を有効に過ごすための「やりがい」は必要だと思いますが、一部の経営者を除いては、仕事そのものが「生きがい」であってはいけないような気がします。
近年、大きく変わろうとしている「働き方」・・・「試験での評価・就職・納税」と変化してしまった・・・ものが、国民の三大義務といえるのかどうかも考えていく必要があるような気がします。
あくまでも、「働く場所の選択権は、勤労者側にある・・・」ということですからね・・・。
Posted by toyohiko at 15:51│Comments(0)
│社会を考える