身体のチカラ › 2025年04月12日

2025年04月12日

「それ良いね・・・」は、なぜ放置されてしまうのか?




 様々な、会議やミーティングでのアイディア出しは、大変重要なことなので、そのための時間を設けてみたり、意見の出やすい環境づくりや関係づくりを心掛けているチームは多いのではないでしょうか。

 その一方で、そのアイディアを具現化していくとなると一筋縄ではいかないのが現実です。

 まずは、「誰がやるのか・・・」も含めた、5W1Hが明確になっていないことには、前には進むことが出来ません。

 よくある「総論賛成、各論反対・・・」というか、各論の部分がよく理解されていないことも多いという状況も珍しくないのではないでしょうか。

 つまり、具体的な段になった時に、「やるのは誰・・・? その中にはとりあえず自分は入ってないよね・・・。」というような思考になったり、積極的に取り組むことが、「格好つけて・・・」とか、「上に取り入っているのでは・・・」というように思われることを避けるために積極的に関わることを避けてしまうという事も考えられます。

 金沢大学 融合研究域融合科学系の金間大介教授によれば、日本人は損得勘定を優先し、モチベーションなどの内的報酬に対して軽視する傾向が強いと指摘しています。さらに、本来は「人は与えてもらうときよりも与えることの方が、より強く幸福感を感じることが出来る・・・」ということを日常生活の場面で体感することが少ないこととも関係しているとも言われています。

 そのような社会的背景もあり、積極的に「自分がやります・・・」という行為に対して、直接的ではないにせよ「偽善」という考え方が入り込みやすい状況にあるとも言えます。

 つまり、「あんなことを言っているけど、本当は〇〇に取り入りたいために・・・」とか、「格好つけたいために・・・」と思われるのでは、というもう一人の自分にとらわれてしまうのです。

 しかし「偽善」という言葉は、誰が使うのでしょうか・・・?

 多くの場面において、この「偽善」という言葉を使うのは「やらない側」の人です。

 言ってみれば、やっている人に対して何もやらない人が批判をするときに用いることが多いのではないでしょうか。

 自分にとって都合のいい根拠らしいことを引っ張ってきて、事実をゆがめたり、他のことを混ぜ込むことで論点をずらすような場面もSNSが活用されるようになってきた現代社会においては、珍しいことではなくなってきています。

 さらには、労使とか、富と貧困というような対照的な立場に対して、「持てる者」と「持たざるもの」というような図式を当てはめ、責任を押し付けあうというような現象も増えてきているような気もします。

 そこのキーワードとなるのが「説明」という言葉です。「丁寧な説明」「納得のいく説明」「説明を受けていない」というような「説明」という言葉をつかった応酬です。

 合理化を背景に、従来の慣習を「権力層への悪しき意図」という図式をつくることで批判をすることもできますし、その批判の根拠を科学的に証明できると無理やりに紐づけてしまうこともできなくはないという現実もあります。

 そのような、説明についてもよくよく考えれば、「トンデモ理論」にも聞こえるところもあるが、物事には様々な側面があるがゆえに、必ずしもそうとは言えないという部分が残されてしまうということも現実です。

 また、「やらない側」の論理として「言ってしまったもので・・・」とか「言われる(思われる)かもしれない・・・」という言い訳を挟み込むことで、本来の「これを進めよう・・・」という話を、「可哀そうな私」という話題へ転換し、相手との関係性の話や感情の話にすり替えてしまっているだけなのです。

 言い換えれば、「言ってしまった・・・」本人が、自身の「言ったことに対する責任を取る」ということをしなければいけないし、実際に起こっていないのであれば、そのような心理状態は他人から見れば自作自演をしてしまう面倒な人・・・に映ってしまうだけです。
 もちろん、物事はすべて「言ったとおり・・・」なるはずはありません。本来の目的に立ち返ってやり直すための責任を果たせばいいだけなのです。

 アイディアを具現化するためには様々な知恵と工夫が必要です。ましてやチームや組織に関わることであれば、多くの人たちに関わってくるということは、ある意味当たり前のことになります。
 
 ビジネスであればこそ、論理的かつ合理的に片づけてしまおうとするし、「仕事なんだから・・・」という合理的な説明のみをもって理解してもらえると思いがちです。

 そうはいっても人間は数値やデータなどの理論のみで歓迎してくれるものでもないと同時に、感情のみでその人が持っている本来の責任を回避できるものでもありません。

 「やらない善より、やる偽善」という言葉があります。「こう思われるに、違いない・・・」というような実体のない束縛にとらわれることなく、仲間を信頼し、向き合いながらまずは目の前のことから実行していく姿勢が一番なのかもしれません。


  


Posted by toyohiko at 16:02Comments(0)社会を考える