2023年07月27日
頼るチカラと支戦場

「ついつい、なんでも自分でやってしまう・・・」「人に任せられない・・・」という悩みを持っている方は、意外に多いのでないかと思います。
その原因の一つは、相手に対しての信頼関係が築けてなかったり、敬意が持てないことで、「どうせ、出来ないだろう・・・」という気持ちが、払拭できないことにもあるかと思います。
もう一つは、自分が見えていないことによる思い込みの強さによって、「思い通りにしたい・・・」「思い通りに出来るはず・・・」という行動規範から逃れられないことです。
真面目な人ほど、ある種の「正しさ・・・」によって、周りの人たちから見える自分の姿に対して、「正当化」という理由付けをすることで、「変わらない決意」をより強固にしているのかもしれないというように映っていることも事実だと思います。
「植物を育てる」ということで考えてみれば、水やりを含めて誰かが世話をしないことには枯れてしまうということは、多くの人が理解していると思いますが、「自分がやらなければ、誰もやらない・・・」という思考になってしまうと、自分自身のやることがどんどん増えてしまうし、新しいことにチャレンジしたり、現在ある優先的な課題を解決することも出来ません。
しかも、植物であれば、放置することによって、いずれ早い段階で枯れてしまう・・・ということは、自明のことであって、それが、自身の率いるチームであれば、どのような顛末に陥ってしまうのかは、想像に難くありません。
私の知人が、長い間、盆栽を趣味にしていました。その方は、旅行が好きで数日間家を空けることも度々あったようです。
盆栽は、自生の植物とは違い鉢植えという、ある意味、閉じた生態系を人工的に作ったものであるために、自然の状態と比べても数倍手をかける必要があります。もちろん、水やりもその一つです。そして、その知人は、旅行などで家を留守にする際には、自身の知人に水やりを頼んでいたそうです。
数年経って、「盆栽はやめた・・・」といって、その方は、趣味である盆栽をやめてしまいました。
その方曰く、「留守にする度に、人に頼むのが大変になってきて・・・」との理由で、趣味をやめたようですが、ひょっとすると、「他の人に頼む・・・ことのできる、関係性」を保ち続けることが出来なかったのかもしれません。
その人にとっての「盆栽」がどのくらい大切なものであったかは、わかりませんが、「やめる」という判断をするときに、「趣味の盆栽を続ける」ことと「人に頼める関係性を構築し続ける」という、二つの要素が必要だったということを認識した上で、「関係性を構築し続ける・・・」くらいなら「盆栽をやめても・・・」という判断になったのだと思います。
盆栽であれば、文句も要望をいうことも無く・・・、状態が悪くなって枯れるだけです。
これが、チームという人の集団であれば、どうなってしまうかはお分かりかと思います。
「自分でやる方が、楽・・・」という、ということは「周りに対する、気遣いの大変さ・・・」と比べてみれば、確かにそうなのかもしれません。
その一方で、みんなで協力し合って一つの目的に向かった方が、より良い成果であったり、より大きな成果につながるだけでなく、達成感も大きいことも多くの方は理解しているのだと思います。
一番いけないことは、「自分でやる方が、楽・・・」という口実を、「自分でやった方が、良いはずだ・・・」と正当化して、問題をすり替えたり、自分自身をだましたりすることです。
「本来、自分自身がするはずの事・・・」は、それぞれの立場であるはずです。
リーダーの立場であれば、自分自身が動くのではなく、チームのメンバーが活き活きと目的に向かっていけるよう、サポートしていく事が「本来、自分自身がするはずの事・・・」になるかと思います。
人間関係のトラブルの多くは、「他人の問題に、土足で立ち入ること・・・」で起きると言われています。だからこそ、「誰の課題であるか・・・」という仕分けがうまくできていないことで、無意識のうちに「他人の問題」に介入してしまうことで、お互いの関係性がうまくいかないことは良くある話かもしれません。
本来の「自身が解決しないといけない課題・・・」が、自分の本戦場とするのであれば、「他人の課題に、興味本位で介入すること・・・」は、本戦場ではない、支戦場に勝手に立ち入ってきた厄介者・・・としか映らないのです。
やって欲しいことと、任せて欲しいこととの境界線は、お互いの信頼関係によってなりたっています。
勿論、お互いが本戦場での成果を認め、敬意をもった関係性であれば、「本来、すべきこと・・・」から、距離を置く必要がないのかも知れません。
「結果が出てないので、その場に居づらくなって・・・」というような心理は、誰にでもあると思います。また、結果が出ていないからこそ、すべきことはたくさんあるはずだし、少なくとも、周りからはそのように見えているのだと思います。
結果が、出ていない時というのは、自分に目を向けるので、手一杯になってしまい、結果に気持ちを集中させられなくなるとも言われています。その多くが、自身の評判を得たり…上げたり…という、自己承認欲求からくるものであれば…、単に、周りが見えていない行為としか映りません。
だからこそ、お互いの信頼を大切に・・・「本来、すべきことは、何なのか・・・」「そのすべきことに、真摯に向き合えているのか・・・」を自身が、考えていく必要があると思います。
他人からは、・・・その姿が、よく見えているものですからね・・・。
Posted by toyohiko at 10:49│Comments(0)
│社会を考える