2024年05月03日
消滅可能性都市について考える

10年ぶりの「消滅可能性都市」の発表に多くの方が一喜一憂しているのではないでしょうか。この消滅可能性都市というのは、若年女性人口が2020年から2050年までの30年間で50%以上減少する自治体を民間有識者でつくる日本創成会議が「消滅可能性自治体」と定義したもので、2014年に次ぐ二回目の発表になります。
この発表によれば、消滅可能性都市の大きなリスクは、「人口減少による自治体の破綻」という自治体経営の視点が大きいということです。
確かに、インドや中国の現状を見れば人口というものが、経済的エンパワメントとして大きな価値を有し、国際的なパワーバランスの変化をもたらしていることも事実です。
しかしながら、人口と自治体経営の維持ということのみで社会を評価し、そのような方向性での競争を煽ることが持続可能な共生社会の実現に向かっているのでしょうか。
2024年の発表で興味深いのが、人口の増加が他地域からの人口流入に依存しており、しかも出生率が非常に低い自治体に対して、新たに「ブラックホール型自治体」と定義し発表したことです。
このような、いわゆる「人口の取り合い・・・」をすることで、自治体経営の健全化を目指すという現状の都市間競争の激化は、その先のそれぞれのウェルビーイングにつながっていくのでしょうか。
しかも、自治体の数のみで言えば少数のように見えますが、そこに関わる人口は日本全体の数割にものぼる人に関わってくる話になってきます。
ここで気になるのは、水やエネルギー、食糧などの社会資本の偏在とそれらを支える、自然と呼ばれるような環境資産の過小評価です。
水質汚染や大気汚染は、現実に起きていますが水や空気の価値を経済的に評価するようなことはあまりなく、被害は起きたときにのみ対処療法で対処することが当たり前のようになっている現状からすれば、「自然環境はただ同然の使いたい放題のもの・・・」になっているからこその評価なのではないでしょうか。
現代の科学では、自然というものが有限であることは多くの人が頭では理解しているのにも関わらず・・・。
気候変動や地球温暖化が叫ばれているなか、地震を含めた様々な自然災害によって様々な日常生活が脅かされている現実があるのにも関わらず・・・です。
多くの方がご存じのように、水やきれいな空気は山間部の森林によって育まれています。植物工場と言われるような技術もできつつありますが、多くの食糧も長い歴史の上に培われた肥沃な土によって支えられているのです。
そのような中、都市部と地方という対比の中で、経済的な投資については都市部に集中しているという現実もあり、都市部の利便性は益々向上していくのに対して、食や水のような生命維持に関する基本的な資産を地方から安価に提供するという図式は変わることなく、資本主義の名のもと当たり前のように受け入れています。
その一方で、川などの自然環境に対して法律上の人格を持たせることで、自然環境に対する持続可能性を阻害するような、事案には起訴などの法律上の対応を可能にしていくというような他国の事例も増えつつあります。
消滅可能性を持続可能性に変換していくには、現在のような「自然」を観光やレジャーのみで資産価値を評価したり、箱物と言われる構造物に対する投資と雇用の創出という従来の経済システムによる評価ではなく、人間の生活の根源を支えるかけがえのないものとしての価値を見直し、経済的な循環につながるシステムも同時に必要なのではないでしょうか。