2023年02月17日
自己開示性と伝えるチカラ

自己開示性の大切さは、寡黙であることが評価された時代から変化しつつある現代社会に於いて、多くの方が感じ始めているかと思います。
「あなたのためを想って・・・」からくる様々な言動に対して、「そんな、ことだとは思わなかった・・・」とか、「嫌いだから、冷たくされている・・・」というような、実際のコミュニケーション不在によるお互いの気持ちのすれ違いも、現実には少なくないのではと思います。
また、その一方で、知りたいことを聞いているのに、「欲しい答え」とは違う答えで返されてしまうという事も、日常生活の中で意外に多いのではないでしょうか。
「欲しい答え」がかえってこない、理由を考えてみると様々な理由があるような気がします。
まず、考えられるのは相手に答えて欲しいことが正確に伝わっていないという事です。
また、伝わったとしても相手にとって都合が悪かったり、隠したいことに対する質問であったりすると、意図的に答えをずらされてしまったり、はぐらかされたりという場合もあります。
相手が、故意にずれた回答をする場合については、別の課題になりますが、実際のコミュニケーションは、その場だけで完結しているものではなく、今までのその人に対して、感じたことを積み上げて出来上がった「偶像としてのパーソナリティ」という無意識の偏見の上に情報が修正されて伝わっている可能性も捨てきれません。
つまり、「あの人は、どうせ○○と考えているに違いない・・・」とか、「どうせ、理解しようとはしてくれないだろう・・・」という想いから、受け取る方の側が、本人の意思とは関係なくゆがめてしまうという事です。
自分の考えを伝えることの重要性は多くの方が理解できると思います。
しかしながら、「伝える」ことと、「伝わる」ことは違うということを理解しておく必要があるという事です。
言い換えれば、「伝える」内容は言語によって行っていますが、伝わるのは全体の93%とも言われています非言語的コミュニケーションによって行われているという事です。
いくら、主張している内容の正当性があったとしても、相手に対して威圧的であったり、攻撃的な態度や表情で接してしまえば、その姿勢が、相手の防御や反撃のスイッチを自ら入れさせてしまうという事です。
自己開示は、「やって欲しいこと・・・」と「任せて欲しいこと・・・」の境界線をはっきりさせる効果がありますので、自分の考えがしっかりと伝われば、お互いの関係性を良い方向に導くための有効な手段にもなります。
逆に、その境界線が曖昧であれば、草野球などで、見られる、どちらが、ボールを取るのかがわからない為に真ん中に落ちてしまう「お見合い・・・」状態や、両者とも自分が取るつもりでぶつかってしまい、怪我につながる・・・という事は、ビジネスも含めて日常のコミュニケーションにも見られることです。
2006年に国連総会で採択された国連障害者権利条約(CRPD)においても「Nothing about us without us.(自分たちのことを、自分たち抜きで決めるな)!」を大きなスローガンとして掲げており、良くしてしまいがちな・・・過剰な配慮や無意識の偏見を常に意識することの大切さを、改めて表明しています。
この考え方も、適切なコミュニケーションがなされぬまま物事が進んでいく事が、「自分の立場だけ、大切にしている・・・」と伝わってしまい、事態が良い方向に進まないという現実に向けての反省なのかもしれません。
「自己開示性が大切」と言いますが、どのような言い方をしても良いという訳ではありません。
もちろん、過去の経緯などから感情的な対応になりがちになってしまうという事があるのも事実です。しかしながら、感情的になると事態が良い方向になるかと言えば、多くの場合は悪化してしまいます。
その場の感情に流されず、相手の考え方や立場を理解した上での敬意を大切にすることが、自分自身の主張や考えも伝わり易くなる、という意識も忘れてはいけないことの一つであり、「伝え方のスキル」にもつながると思います。
Posted by toyohiko at 12:42│Comments(0)
│社会を考える