2014年06月06日
挨拶を考える

明るい笑顔で挨拶・・・とても気持ちの良いものです。逆に挨拶ができている、できていないで、人を評価してしまうケースも少なくないのではと思うこともあると思います。
挨拶というものは、仏教の言葉で「一挨一拶(いちあいいっさつ)」が語源になっているといわれています。この一挨一拶というのは、禅問答のなかで一方が、言葉を投げかけ、その反応から相手を値踏みするということを言い、「挨」は自分の心を開きながら相手の心を開く、迫る、押しすすむなどの意味があります。また、「拶」も迫る、近づく、押しつけるなどの意味になりますので、「挨」も「拶」も両方に押し迫って・・・という意味が含まれています。
押し迫っていくということは、自分から相手に近づいていくということを意味します。その中で、「挨拶」とは自分の心を開きながら、相手の心を開くという、人同士のコミュニケーションの上で、ある意味、一番最初であり一番大切なことであると同時に、非常に「強い力」を持ったものといわれています。
「その強い力」をさらに増幅させるのが「笑顔」なのだと思います。「笑顔はつくり出すものではなく、自然に出るもの」という表現をされる方がたくさんいます。「顔の表情は心の鏡」とも言えますので、自分自身が、どのような気持ちであるかということが重要です。
確かに、顔の表情は練習によってづくり出すことができます。顔のいくつもの表情筋をコントロールすることで「それらしい顔」にはなると思います。しかしながら、気持ちのともなっていない表情筋の作り方での笑顔は、心からの笑顔によって出来上がる顔の表情とは違ってくるのかもしれません。
よく、「顔は笑っていても、目が笑っていないので怖い・・・」という、表現を耳にしますが、まさにその通りで、相手には伝わってしまうということなのだと思います。
その「心からの笑顔」を作るためには、どうすればいいかなのですが、これも挨拶の意味と一緒で、「自分から・・・」ということなのだと思います。
先ほども、言いましたように「一挨一拶」には、相手を値踏みする、という意味があります。「値踏み」という表現は語弊があるかもしれませんが、この行為そのものは、もともと、位の高い人が、低い人の様子を伺うという意味があります。
もし、「近頃の若いもんは、挨拶がなっとらん・・・」と思うようなことがあるとしたら、もともとの語源からしても、上の立場にいる人ほど、挨拶はされるものではなく、するものなのかもしれません。
自分から、動き出すことによって周りの環境が変化してきます。それが幸せにつながり、自然と「笑顔」がこぼれてくるのだと思います。
まず自分から、・・・
他人のせいばかりにしていると、いつの間にか自分の居場所がなくなっているかも知れませんからね・・・。
Posted by toyohiko at 11:39
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