2011年08月27日
地域とグローバル化の狭間

先日、日経MJのコラム「実践・実戦CS向上指南」などでおなじみの日本ホームセンター研究所の高橋直樹所長のお話を聞く機会がありました。内容としては東日本大震災後の消費者意識の変化について被災地の各お店を見学したり取材したりしたことが中心でした。
その中で、一貫して出てきたキーワードが「地元」であり「地域」という言葉でした。高橋氏は、「壊滅に近い状況の中、店舗とはここまで頑張れるものなのか」という印象を非常に強く持たれたそうです。
実際に、お店では停電・断水などの生活インフラに加えて建物の倒壊など極限的な状況の中、各店ともに一刻も早く営業を再開しようということで努力をしてきた人たちがたくさんありました。また、被害が甚大だった地域ではチェーン本部などとも数日間連絡も取れないお店も多く、独自に判断して独自に行動したというとこをがほとんどだったようです。
多くの商店主の方々は、困り果てて、疲れ果てている人たちを目の前にしたときに「早く店を開けなくては・・・」という思い・・・それは、「店」が地域のお客様の近くにあり毎日接している存在であったからこそだそうです。
この「近くにある」「近くにいる」ということが、色々なチカラを発揮する源になっているのではないかという気がします。「生身の存在感」という言葉がありますが、この直接的に触れることができたり、「肌で感じる」距離感によって生まれる「愛」や「責任感」が結果的にそこにいる人たちに勇気や力を与えるのかもしれません。
現に、ナショナルチェーンも必死に努力したが、今回の震災で真っ先にお店を開けて地域の生活を支えたのは、全国規模の大チェーンよりも各地に根差した中小のローカル企業・リージョナル企業だったそうです。
その一方で、グローバル化という言葉とともに、企業や経済の成長について多くのことが語られています。現に生産拠点を海外に移して効率化とともに成長を遂げている企業も数多くあります。
しかし、この「成長」という言葉は数字示すことのできる規模を指していることが多く、実は「仕事」と「生活」の分断を前提としているような気がしてなりません。
先の高橋氏の話の中でも「地元の人間が多いことは、地元の企業が強いことの理由の一つになる」と述べていました。仕事をする人も、生活をする人も様々な感情をもつ多様な人間によって支えられているということは周知の事実であります。
政治と経済の混迷という意味では待ったなしの状況が続いていますが、この「生身の存在感」を大切にしつつ、「地域」と「グローバル化」という二つの相反する言葉の意味やあり方をじっくりと考える時間が今こそ必要なのかも知れません。
Posted by toyohiko at 14:07│Comments(0)
│社会を考える
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