身体のチカラ › 2025年01月
2025年01月31日
ポスト化石資源としての微生物の可能性について考える

地球温暖化などの大きな要因といわれています石油などの化石資源について、一時は可採埋蔵量などという言葉があったように、持続可能性とは言えない枯渇性資源であるという現実があります。
とはいえ、産業革命以来、産業の飛躍的発展や豊かな生活と呼ばれるような生活の利便性向上に対して大きな役割を果たしてきたことは紛れもない事実です。
そのようななか、微生物などをもとにしたバイオ技術を活用することで、従来型の化石資源を利用しない形で製品や素材を循環させて利用するようなサーキュラーエコノミー型の持続可能性を模索する流れが進んできています。
近年、ポストバイオティクスと言われるような、微生物の代謝物などの産生物質の活用によって従来の環境負荷型の製造方法を改善することでより効率的に、さらには安価に提供するような事例は既に多く存在しています。
例えば、化粧品や食品などに利用されているヒアルロン酸についても、以前は鶏のトサカから成分を抽出することでしか手に入らなかったのですが、現在では、微生物を利用し、その代謝物などから生産が出来るようになることで、利用が広まったり、安価に提供できるようになった事例の一つです。
また、近年注目が集まっています生分解性プラスチックの原料となっているステレオコンプレックス型ポリ乳酸もシアノバクテリアと呼ばれるラン藻が光合成の過程で産生するD-乳酸という物質を原料にしていますし、このD-乳酸の産生には、大腸菌などを利用する方法もあり、試行錯誤をしている過程と考えられています。
神戸大学先端バイオ工学研究センターの蓮沼誠久教授によりますと、これらの事例のように、微生物を利用し、脱化石資源の方向性を示すことが可能になってきた大きなポイントは、AI技術などを融合することで、それぞれのゲノム情報の解析が劇的に早くなったと同時に、ゲノム編集技術によって効率よく精密な遺伝子操作が可能になったためとしています。
また、洗剤や合成香料、樹脂と言われる素材や農薬など様々な製品の生成に必要だとされているフェノールにおいても化石資源からの生産に依存しいてるのが現状になりますが、フェノール生合成経路の遺伝子を導入することで、フェノール産生酵母株をつくり、その結果、フェノールを生産することに成功した事例もあります。
そもそも、化石資源といわれる様々な物質も単なる経年変化によって生成されたのではなく、そこには多くの微生物と言われるような生命体が関わることで、現在、資源として活用できていると考えれば、改めて微生物たちのチカラを利用することで、地球資源や環境問題解決の糸口につながってくるのかもしれません。
2025年01月24日
「我が家の味」と腸内フローラ

皆さんには、「我が家の味」とか「おふくろの味」というものがありますでしょうか・・・?
小さい時から食べ慣れた味というものは、どことなく安心感につながるものです。例えば、和食の代表的な献立の一つである、味噌汁やお雑煮などはその代表的なものではないかと思います。
かつては味噌汁の違いや、お雑煮の違いで喧嘩になった・・・などという話も度々耳にするようなことあるくらいです。
この話は、一見食文化のようの話題のように見えますが、別の見方も出来るというのです。
「食べたものは、実は腸内細菌によってきめられている・・・」というような話を聞いたことがあるかたもいるかと思いますが、この食文化の礎を担っているのが腸内フローラの可能性があるというのです。
ヒトを含めた多くの哺乳類の腸内フローラは、食糞や分娩時の直接的な伝播や免疫システムにも関わると言われている遺伝子情報を基にした設計図のようなもの、さらに食事の内容の3つの要素によって大きく作用すると考えられています。
そのように考えた場合に、ヒトであれば3歳までにその人固有の腸内フローラが出来上がるということも含めて、その時の食事の影響は少なくないと考えることが出来ます。
ご存知のように、腸内細菌もエサとなるものの多い少ないという状況によって、構成される菌株の割合が変化していきます。そのエサの元になるのは、当然のことながら食事から摂る様々な栄養素になりますので、腸内フローラも当然のように影響を受けるということになります。
慶應義塾幼稚舎と横浜初等部で食育教育に取り組んでいます医師の菅沼安嬉子氏によりますと、「3歳くらいから子どもはいろいろなものを食べ始めるので、『我が家の味』というものを一品で良いので作ってみてください。人間には『これを食べると癒される』という味があるようです」とその人にとっての懐かしく、忘れられない味の重要性に触れています。
更に、「我が家の味」は反抗期の癒し飯にも・・・というように、腸と心の安定についても、「思春期になるとホルモンが嵐のように体内に出てきて脳がパニックを起こします。本人もどうしていいかわからない状態になり、時には親に暴言を吐きますが、それは本人ではなくてホルモンが言わせているので本気にしてはいけません。そんな時は『我が家の味』を作って黙って出してあげることで穏やかになることもあります」とも述べています。
更に、食べるだけでなく、食事をつくることの大切さについても、「奥さんに先立たれた時、残された男性はすぐに亡くなる方が多いですが、自分で料理を作れる人は大丈夫です。・・・」と、高齢になった時の幸福度に大きな影響を与えることにも言及しています。
そして、「小さい頃に作った経験があると、しばらくブランクがあってもいざとなったらできるもので、子どもの頃の食育はとても大事です」とし、「働きながらの育児は忙しく大変だが、1週間に一度で良いので手作りに挑戦してほしい。」と、子どもの頃からのバランスのとれた食事の重要性について、将来の生活習慣病やがん予防との関係性についても述べています。
ご自身の腸内フローラと大きく関係している「我が家の味」、そして、その味を自らつくることが出来ることが、長い意味での幸福度につながる・・・というような考え方も、大切ですが、一方で、「・・・しなければ」にとらわれ過ぎず、経験する、体感する場面が増えていく事で「やったことないから・・・」にならないことを大切に出来るというような軽い受け止めかたをすることで、意識し続けることが出来るのではないでしょうか。
勿論、小さい時からいつも飲んでいた飲み物や、よく連れて行ってもらったご飯屋さん・・・のように必ずしもつくってもらったものでないものが「我が家の味」であってもいいと思います。
こうした、「我が家の味」というような味の記憶は、単なる記憶ではなく・・・腸内フローラにとっても心地いいエサの供給源になっていることで、脳腸相関を通じて心の安定につながっていることの可能性も意識していくことをしてみたらいかがでしょうか。
2025年01月17日
身近な自然を知ることから始めよう

絶滅危惧種や生態系の保全など、私たちを取り巻くヒトを含めた生態系に関する変化は、目まぐるしいものがあります。
地球温暖化と言われるような気温の上昇によって、農産物や水産物にもいろいろな影響が出ていることは多くの方々がご存知かと思います。
今年は、果樹を中心とした越冬したカメムシの被害や熊などの大型哺乳類の人間社会への影響もその一つです。
生態系の変化は、自然環境だけのためではなく、農産物や水産物という視点で考えれば私たちの食糧の問題に直接影響します。そのためには環境の状況変化に合わせた個体数や種の変遷などの継続的な変化を把握していることで、はじめてその対処方法を考えることが出来ます。
また、その変化の因果関係などを考えた時には、どのような情報が必要なのかもわかりにくいのが現状ですし、その因果関係につながる仮説力が非常に重要になります。
そこで、多くの場面で行われているのが指標生物やその生息環境に関するモニタリング調査です。
例えば、特定の種が「減った・・・」とか、「増えた・・・」というような状況についても、発言者の印象や感覚と言われるものによって、全体を判断するということは良くない事になりますし、こと、自然環境というような対策の影響に対する答えが長いタイムスケールでしか得られないような場面では、対策の判断が間違ってしまうことで、現状の課題がより深刻になったり、新たなる負の影響を導き出してしまう恐れすらあります。
そのためにも、それぞれの環境に生息する指標生物やその他の可能性を持っている種の現状を的確かつ正確に把握した上で判断することが必要です。
そして、その把握したデータを出来る限り外部に公開していく事で、色々な立場の人たちを巻き込んでいく事も大切です。その一方で、希少生物については、商業ベースの発想になってしまう方も多く、生息域の情報についても慎重な姿勢にならざるを得ないという現実もあります。
とはいえ、生態系全体のことを考えていけば出来る限り全体を網羅するようなデータの蓄積は必要不可欠になります。
そこで、新たな手法として期待されるのが、環境DNAを活用した生態系の把握です。
環境DNAによる調査とは、海洋中や河川や湖沼などの環境中に溶け出した魚の糞や粘液などに含まれる生物由来の微量のDNAを抽出し、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)と呼ばれる方法で増幅させ分析することで、そこに棲む生物種を知ることが出来るという方法です。
更に、そこで検出されたDNAの量によって、そこの環境下での種の構成などが解るというメリットもありますし、生物から放出された環境DNAは長くて1か月ほどその環境中に存在するといわれていますので、時系列データとしての活用にも有効とされています。
このような手法については、魚類や甲殻類などの大型のものについては、一定のノウハウを構築しつつあるようですが、小型の水生昆虫や植物、さらに藻類などは、これからの課題でもあるようです。
よって、現在では環境DNAを活用した手法は、生態系の保全というよりも、食料としての水産資源の確保や現状食習慣の無いような種のマーケティングなど産業分野での可能性を模索しつつある中での活用が中心のようですが、「見えない世界としての水中」の様子がこうした技術を使って可視化出来つつあることで、より定量的な把握が可能になってくるということについては大きな意味があるかと思います。
土、水、大気をとりまく生態系は、私たちにとって食糧の確保も含めて大切であり、一方的に搾取するだけでなく保全していかなくてはならない環境そのものです。
そのために、断片的な情報や声の大きい人たちの印象に引きずられてしまうことで、間違った判断をしてしまった結果への責任は、次の世代への責任と考えれば自らの判断も変化してくるものです。
生態系の保全には、特効薬や起死回生の一手というような「これさえ、やっておけば・・・」という単純な答えはなく、一人一人の小さな日常の積み重ねの結果に他なりません。
だからこそ、「さいきん、昆虫を見かけなくなった・・・」という印象を、印象だけで終わらせる事ではなく、話題にすることで、他の人たちと意見を交換したり、専門的な知見と照らし合わせることで、見えてくるものも多いと同時に、その経験によって、行動が変化していくことが大切なのだと思います。
2025年01月10日
絶滅危惧種川ガキの再生とグリーンインフラ運動

「良い子は川で遊ばない・・・」という言葉を聞いた記憶がある方は多いのではないでしょうか、なるべく危険なところに近寄らないようにすることで、身の安全を守る・・・という意味では、確かに理にかなっているのかもしれません。
しかしながら、その発想が行き過ぎることで川のみならず自然から遠ざかり距離をとる・・・ことで、失ってしまうものは何なのかを考える必要があるのだと思います。
確かに、「安全・安心」や「個人の権利」も大切ですが、行き過ぎた責任回避にならないためのバランス感覚をそれぞれの個人が持ちうることが大切なのではないでしょうか。
都市部では、「子どもの声がうるさい」という理由で、幼稚園や保育園の園庭での遊びに配慮が必要だったり、ひどい場合には移転の検討が必要・・・という話までに発展してしまうことを考えると、発想の起点がその人にとっての正義感であったとしても「加減が解らず、折り合いをつけることが出来ない・・・」結果にも映ってしまいます。
このような状況に関して考えてみると、自然界では、昆虫にしても多くの哺乳類にしても、同じ種の間で互いに殺し合うような事は基本的にしません。
威嚇の段階で決着をつけることで、無駄に命を削らない・・・という習性を持ち合わせているということからすれば、私たちは自然から学ぶことが沢山あるのだと思います。
現在の世界各地で起きている様々な出来事を鑑みても、ヒト以外の種のほうが、「いい頃合い・・・」とか、「いい塩梅・・・」ということを理解しているのかもしれません。
お互いの着地点を見極めることなく徹底的に自身の主張を貫き「声を大きくしたものが勝つ」というようなロジックがまかり通るようになる・・・というような状況が当たり前になってしまうことは、未来を支える次の世代のためには、あまり良い社会とは言えないような気がすると同時に、「わがままのコストを善意で支える・・・」というような社会に近づいているような気さえしてしまいます。
我々人類は、かつて霊長類の仲間として自然の中で生き抜いてきました。本能ともいえる危機管理能力の多くは、その自然のなかで共存することで培われてきたと考えられています。
このように考えれば、「自然」というリアリティに触れるからこその良さは、人がヒトである以上必ずあるはずです。
「川ガキの再生」という考え方も単に、川で遊ぶ楽しさを・・・というだけではなく、自らが「自然」という壮大かつ本来もっとも身近である存在に触れることで、現代社会で多くの失いつつあるものを得て欲しいという気持ちも込められているのです。
自然と向き合う時間を積極的に多くとっていますと、気付くことがあります。それは、「自然界において人間が知っていることの方が少ない・・・」ということです。このことは、「学べば学ぶほど、世の中にはわからないことが沢山あることが解る・・・」というようなものです。
そして、何よりも自然と接していることで一番良い事は、「解」が無いということに対して平常心でいられるということです。「焦ってもはじまらない・・・」、「地道に続けていくしか方法がない・・・」ということをある意味思い知らされるからだと思います。
川ガキのようにいつも「自然」と近い関係を意識し続けられることは、「自然を愛する気持ち」を醸成してもらいたいだけでなく、白黒はっきりつけたり、「どっちの責任だ・・・」ということばかりに振り回される社会の中で、ネガティブ・ケイパビリティと言われるような「正解のない問題にも真摯に向き合えるチカラ」をつけていくことにもつながると考えているからです。
グリーンインフラという考え方による具体的な行動も、すぐさま結果の出ないことのひとつなのかもしれません。だからこそ、運動としての理念の共有と地道かつ継続的な活動が大切になるのです。
スローフード運動も同じですが、つねにそのような食材を食べるということではなく、「常に意識をしながら、なるべく・・・」ということが、長続きする秘訣であり、結果的に広がりにつながるという話を耳にしたこともあります。
「よい子は川で遊ばない」というメッセージには、「どうせやらかすに違いない・・・」という信頼関係の無さとしても読み取ることが出来ます。 このことは、次代を担う子どもたちの「答えのないものに立ち向かうチカラをそぎ落とすことにつながっているのではないでしょうか。
これは、大人たちのお互いを「頼れない」という状況にも責任があるのかもしれません。
頼るということは、恥ずかしいことではなく素敵なエンパワメントの一つであるという価値観が出来ていけば変化していくのです。
子どもたち自身も自らの意志で、未来のことを考えています。その意志を尊重し、そのチカラを発揮していくためには、まず大人自身が多くの人を頼り、そして子どもを信頼し・・・
結果に拘り過ぎずチャレンジするという姿を見せていく事からなのだと思います。
2025年01月03日
不安と共感を考える

「失敗したらどうしよう・・・」「人に嫌われたらどうしよう・・・」と言うようなことをいつも考えてしまうというようなことはありませんか。
このように、まだ起こっていないことに心が囚われてしまったり、ストレスがかかるなど、潜在的なものに対する生体反応を不安と表現しています。
老後の生活設計、自身の健康、今後の収入や資産の見通し、さらには、SNSの評判など・・・様々な要素の不安と常に隣り合わせでいるという感覚の方も多いのではないでしょうか。
このような状況から逃れられないのは、ヒトには、「長期的な将来を予測」したり、色々と、想像を巡らせることで準備する能力そのものであるからで、これらは、不安要素をつくり出すという側面もあれば、その予測するチカラを使うことで進化を遂げてきたとも言えます。
東北大学 河田雅圭名誉教授によれば、人の場合は他の霊長類と比較して、不安を抑える神経物質の放出量が少ないことで、不安を強く感じるようになっているそうです。これは、狩猟生活時代に捕食者から逃れられない不安を感じたり、食物を確保しなければという不安を増大させることで生存に有利な働きをしていたとも言われています。
また、自身の危機管理能力の一つとして、不確かさに対して、不安を覚えるメカニズムが存在するとも言われています。不確かさについては、 ポジティブな面では好奇心、ネガティブな面では危険回避能力というような「不確かさ」が起因する2つの要因のなかでバランスを取りながら葛藤しているというのです。
さらに、多くの霊長類にも「不安」という情動があるとされていますが、ヒトは他者の不安を、自分の不安として引き受けることが出来るというヒト特有の特徴をもつことで、社会形成の基盤にしてきたと考えられています
他者の感情に影響を受ける・・・といような情動によって、他者に対する「思いやり」を感じることができるという仕組みが脳の前帯状皮質に存在するそうなのです。
京都大学ヒト生物学高等研究拠点 雨森賢一准教授によれば、前帯状皮質には不安に関わる24野と共感に関わる32野が存在し、ヒトは他の霊長類と比較して32野の領域が大きいことによって、他者の不安を自分の不安として引き受け、結果的に他者の感情に影響を受けるという特徴を持つようになったとしています。
このように、脳の共感を司る部分が不安に影響をあたえるというような、不安と共感が相互作用することでヒトの意思決定に関わっている仕組みが存在することで他者と関係性において社会的コンセンサスを得るための重要な役割をしている可能性があるというのです。
このような仕組みからすれば、人間関係は脳科学的にも大きな影響をもたらすことになります。
帝京大学医学部精神神経科学講座 功刀浩主任教授は、そもそも100%確実なコミュニケーションというような手段は持ち得ないという前提がある中で、コミュニケーションの不確実さを理解しているということが相手に伝わることで、親しみにつながると述べています。
そして、もっとも伝わるメッセージが、非言語的コミュニケーションである、会話の中での「間・・・」や、「考えているしぐさ・・・」だとしています。
「間・・・」は、相手にとっては「考えている・・・」というメッセージとなり、その時間は「聴いているよ・・・」という明確なメッセージにもつながります。
そして、「考える仕草・・・」は、「貴方のことを、ちゃんと考えていますよ・・・」「自分の考えを押し付けていません」というメッセージとして伝わるのです。
「傾聴」という言葉がありますが、この二つの非言語的コミュニケーションは聴き手が相手の気持ちに共感しながら話を聴くことに対して、有効かつ具体的な手段の一つとして意識することが大切です。
そして、「聴いているよ・・・」というメッセージが伝わることで、コミュニケーションが深まり、そこを起点に、「この人のことをわかろう・・・」という気持ちにつながっていきます。
コミュニケーションがうまくいくかどうかの不安は大きいいっぽうで、その不安が相手に伝わることでコミュニケーションの潤滑油的な働きをしていくと考えることができれば、不安をポジティブに活用するということにもなってきます。
不安が無ければ前に進めないし、前に進もうとするから不安があるということからすれば、不安があった時には、「自分は、何か新しい変化をしようとしている・・・」と考えることで、不安といい関係をつくることで、不安を燃料にすることもできるのです。