2012年04月06日
「江戸患い」と沢庵

「江戸患い」という言葉をご存じでしょうか・・・江戸時代に、江戸に長期滞在すると身体がギクシャク動くようになって、重症になった場合には死んでしまうといわれていたそうです。この症状は、現代では栄養素に対する研究が進んできたためにほとんど見られなくなったと言われる“脚気”の事だったようです。
この脚気という病気、何故江戸時代の流行り病になったのでしょうか?
ご存じの方も多いと思いますが、脚気というのはビタミンB1の不足によって起きるといわれてます。特定の栄養素の不足ということになれば、当然、日頃の食生活に密接に関係しています。江戸時代というのは地方や農民は玄米食が中心でしたが、江戸では玄米を精米して、ぬかを取り除いた白米を食べるようになっていたそうです。
ぬかは玄米の約1割を占め、この中には籾が発芽するための必要なビタミン類、ミネラル類、食物繊維などの栄養素が多く含まれています。中でもビタミンB1は糖質の代謝に欠かせない物質としても知られています。
一説によりますと、尾張も江戸と同じように当時から、白米を食べていたといわれていますが、江戸などの栄えた地域では、白米を食べて、副食が少なかったというのが「江戸患い」の真相のようです。
また、明治時代に入ってからは白米を食べる習慣が一般化し、脚気で年間1万人から2万人もの死者が出たともいわれています。この頃はまだ脚気の原因がビタミンB1不足だとは知らず、脚気を「伝染病」と考える医者も多かったようです。
また、沢庵の歴史も江戸時代だといわれています。諸説ありますが、徳川家光が、東海寺の沢庵住職の「たくわえ漬け」称した大根の糠漬けを、「今日からは、沢庵漬けと名付けよ」と言ったことに始まったという話は有名な話です。
1910年に鈴木梅太郎氏によってビタミンB1を米ぬかから発見ましたが、それより約300年以上前から誕生した沢庵は、保存食である一方、糠に含まれる栄養分を大根に吸収させ、その上乳酸菌を主体とした発酵によって健康成分を補う優秀な栄養補助食品でもあったのです。
ところで、脚気という病気・・・最近では過去のものでは無いそうで、インスタント食中心の食生活をしている人たちに予備軍になっている人も多いといわれています。
ビタミンB1は、水溶性で水に溶けやすいために不足しがちになる一方、清涼飲料水やインスタント食品、アルコールなどに多く含まれる糖質を分解するには、ビタミンB1が必要不可欠です。そのためこれらの食品を大量にとりすぎると、分解にビタミンB1が使われて体内で不足し、食欲不振や全身の倦怠感につながってしまいます。
昔の病気・・・と侮らず、色々な角度で食生活を見直すと良いかもしれません。
Posted by toyohiko at 10:27│Comments(0)
│食の文化
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