2024年06月07日
疲労と疲労感の違いを考える

近年、働き方改革や健康経営という意識が社会に浸透し始めましたが、そこで大きなキーワードになるのが、「疲労」です。
そもそも、「疲労」というものは、「痛み」や「発熱」に並ぶ、人体の三大生体アラームの一つと位置付けられています。しかしながら、痛みや発熱と異なるのが、三つのアラームとも身体の異常を知らせるためのものであるのにも関わらず、「痛み」や「発熱」と違って認識しにくい場合があるということです。
疲労に関する研究者によれば、疲労は、「肉体的、精神的、感情的な活動やストレスなどによって引き起こされるエネルギーや活力の低下、全体的な無力感などの一時的な状態」という捉え方ではなく、「身体の細胞がダメージを受けた状態」という理解をする必要があり、ストレスも含めた肉体的な負荷に対しては、本人の認識が無くても細胞レベルではタンパク質や遺伝子に傷がついていくという変化が常に起きているという認識が必要だとしています。
更に、金沢医科大学細胞医学研究分野 岩脇隆夫教授によれば、脳と腸は疲労の影響を受けやすい臓器なので、特に気を付ける必要があるとも指摘しています。
東京慈恵会医科大学ウィルス学講座近藤一博教授によれば、「疲労」のメカニズムは、継続した運動や身体に負荷が掛かることで、細胞のタンパク質の合成にブレーキがかかり、その結果、細胞が死滅してしまい、炎症性サイトカインという物質が放出されます。
その炎症性サイトカインが血液中に入ることで疲労を感じ、休息や睡眠などによって炎症性サイトカインが消失すると再びタンパク質の合成が出来るようになるというサイクルが常に身体の中で起きていると言われてます。
つまり、「疲労」の状態では、細胞の破壊と炎症性サイトカインの増加という状況が身体のあちらこちらで起きており、そのサインが「疲労感」という脳が認知するシグナルになるのです。
すなわち、「疲労感」は、休息や睡眠を促すための脳が感じる休めというサインなのです。
更に、「疲れが溜まると・・・○○が痛い」というような、自覚できる疲労のシグナルの場合は、アポトーシスと言われる細胞の自己破壊の状況にまで陥っていると考える必要があるともされています。
また、細胞中のたんぱく質の合成が阻害される要因の一つに、細胞中に存在するelF2αというものがあるのですが、そのelF2αにリン酸がくっ付くことでリン酸化してしまうということがあります。そのくっ付いたリン酸を外すことで疲労が回復するというメカニズムになっていることが最近の研究で解ってきました。
さらに、elF2αからリン酸を外す働きをする酵素が、軽い運動によって誘発されるため、疲労回復には軽い運動が有効と考えられていると同時に、運動による疲労はリン酸を外す酵素が多く誘導されるために回復しやすいのに対して、身体を動かすことなく、精神的疲れが続く場合には疲労回復のメカニズム的にも長引き易いという理解が必要です。
しかしながら、人間の場合は疲労のシグナルである「疲労感」を感じにくくしてしまうことがあるというのです。
例えば、あることに取り組んでいる時に、その事が上手くいったときと、上手くいかなかった時では、疲れ方が違うということを感じたことは無いでしょうか。
本来、「疲労」は認識しにくい生体アラームとされています。ヒトの脳は疲労を正確に捉えることが出来ない故に、「疲労」と「疲労感」にズレが生じるというのです。
先ほどの、事例のように、上手くいこうが、上手くいかなかろうが身体に対する負荷は大きな違いがないことが殆どです。しかしながら、体感として感じる疲労、すなわち疲労感は大きく異なることが多いのです。
これを疲労のマスキングと呼ぶそうです。疲労のマスキングが起きやすいケースには、仕事に充実感や達成感があったり、周囲の人に褒められるというような場合には、疲労感が無くなると一般的に言われています。
「人間は、唯一疲労感を自分で消すことが出来る種」と言われており、脳が発達しているゆえに、前頭葉が大きくなったことで、欲望や進化に対する欲求に左右され疲労感を感じにくくするのだそうです。
つまり、「もっと良い生活・・・」「もっと良いモノが欲しい・・・」という欲求によって進化を遂げてきた結果、脳内でドーパミンなどの神経伝達物質を放出することによる快感や高揚感によって疲労感を消すという術を身に付けてしまったのです。
あらゆる種の中で、このような快感や高揚感によって疲労を感じにくくするという種はヒトだけだと言われています、また、ヒトの世界でも、疲労を溜めないのが世界標準であり、「過労死というのはヒト独特の現象」でもあり、「日本独特の状況」とも言われています。
「疲労感なき疲労」というのものが存在することを知っておく必要があるのです。実際には、「疲労感」は無くても「疲労」は、自律神経の状態に顕在化していることが多いそうです。
基本的には、疲労は身体全体を休ませることでしか疲労は取れないとされていますので、睡眠でリカバリーするしかありません。
もし、「朝起きた時のリフレッシュ感が」なかったとしたら、睡眠の質にも着目しながら、「全然、大丈夫です・・・!」に象徴されるような、無理を承知で・・・というライフスタイルを見直してはいかがでしょうか。
2024年05月31日
腸内腐敗物質とプロバイオティクス

腸内環境が悪い状態であることのリスクの一つに、腸内腐敗と呼ばれる現象があります。一般的に、私たちは微生物がヒトに対して有用なものを産生するような代謝反応を発酵と呼び、有害なものを産生するような微生物の代謝反応を腐敗と呼んでいます。
つまり、この腐敗という現象はヒトにとって有害ではありますが、その他の種にとっては、別のものであり、有害であるかどうかは別・・・ということになります。
ヒトの腸内における腸内腐敗とは、通称悪玉菌と呼ばれる微生物によって、未消化のタンパク質が分解され有害な物質が産生される状況を示します。
その産生物質には、アンモニア、硫化水素、インドールやスカトールをはじめフェノール類などがあり、強い臭気を放ちものが多く肝機能障害や神経障害につながるリスクがあるとも言われており、腸内環境のさらなる悪化や腸の蠕動運動にも影響を与えるとされています。
その中でも、インドールは、腎機能が正常に機能している際は尿とともに体外へ排出されますが、腎機能の低下によって排尿量が減少してしまうと血中に蓄積されてしまいます。
また、肝臓でも代謝され、インドキシル硫酸という尿毒素に変換されますが、このインドールやインドキシル硫酸が腎不全の症状の進行に関与しているとされています。
そのような中、腸内細菌が産生するインドールについて、他の腸内細菌によって濃度が低下することが研究によって明らかになってきました。
研究によれば、ヒト由来のビフィドバクテリウム属の特定の菌株が、有害物質であるインドールを、トリプトファンに変換し、更に脳機能の改善や免疫システムの強化をすると考えられているインドール3乳酸(ILA)に変換していることが明らかになったというのです。
今までは、ビフィドバクテリウム属やラクトバチルス属などの通称善玉菌と呼ばれる菌株の代謝物である乳酸や酢酸が腸内腐敗の原因となる腸内細菌の勢力を抑えることで、腸内腐敗を抑制することが出来るという考え方が主流であったのに対して、代謝された有害物質そのものを、他の腸内細菌が有用物質に変換しているという新たな知見と可能性が広がったと考えることも出来ます。
ひとことで、腸内環境という言葉で括られていますが、その中で行われていることについては、まだまだ未知の世界が多いのが現実です。
今後、単一の菌株の性質だけでなく、複数の菌株の相乗効果の作用として行われている事などが解明されることで、健康の維持増進に対する腸内細菌の役割が更に大きくなっていくことが期待できそうです。
2024年05月23日
ビタミンDと免疫力との関係をあらためて考える

ビタミンDと免疫との関係性は、これまでも多くの場面で言われてきました。ビタミンDは脂肪分の多い魚や卵の黄身などから摂取できるとともに、太陽の光を浴びることによって皮膚内で作られ、代謝や骨、筋肉、神経、免疫系の健康に重要な役割を果たすと言われています。
そもそもビタミンDと免疫力との関係性に対する関心は、「ビタミンDの生成を助ける太陽光が比較的少ないデンマークで、ビタミンD不足を指摘された人は、その後10年以内にがんを発症するリスクが高い・・・」という研究データからと言われています。
英国のフランシス・クリック研究所の免疫学者のカエターノ・レイス・エ・ソウザ氏は、「ビタミンDは、数百もの遺伝子の活動に影響を与えているので、複雑なのです。」とビタミンDと免疫システムとの関係性に対する難しさについて触れています。
また、いくつかのデータの分析の結果、ビタミンD活性が高い患者は様々なタイプのがんの生存率が高く、免疫治療への反応も良いことも報告されています。
そのような中、腸の組織に含まれるビタミンDが、特定の腸内細菌を増やし、それがリンパ球の一種であるT細胞を刺激してがん細胞を攻撃させている可能性があるという研究結果が、先月、米国の学術誌「Science」で発表されたのです。
そもそも、腫瘍の発生とビタミンDレベルとの相関があることはわかっており、ビタミンDの活性に関する遺伝子の状態と免疫療法と実施した場合の反応の改善との関係などからもビタミンDと免疫系との間に腸内細菌が関わっていることについても多くの研究者が言及しています。
今回の研究では、マウスによる実験になりますが、ビタミンDの活性と移植された癌に対する免疫依存性耐性についての相関関係のみでなく、その耐性と腸内細菌叢におけるバクテロイデス・フラジシスの割合とも大きく関係していることが解ったと報告されています。
これらの事は、ビタミンD、腸内細菌、および癌に対する免疫応答の3つの間に大きな関係性をもっていることが明らかになりつつあることです。
いままでも、がん治療の効き方に患者の腸内細菌叢が関係しているらしいことは、他の研究でも指摘されていました。今回の研究は、腸内細菌叢の違いということだけでなく、T細胞の働きにも関係し、癌への攻撃力を高める「チェックポイント阻害薬」が効く人とそうでない人では、腸内でよく見られる細菌に一貫した違いがあることも明らかになったというのです。
だからといって、「すぐさま、ビタミンDをたくさん摂りましょう・・・」ということでもなく、多くの方がご存知のようにバランスの取れた食事、睡眠更に適度な運動が必要な事には違いはないかと思いますし、それにかかわる腸内細菌叢についても極めて複雑な要因によって今回の結果に至っています。
今回の研究についても、ビタミンD、微生物共生群集、およびがんに対する免疫応答との間に、これまで認められていなかった関連性を示唆してるものの、ビタミンDレベルががん免疫と免疫療法の成功の潜在的な決定要因であることについても述べていることからすれば、意識は必要ですが、ビタミンD=がん予防というような短絡的な働きを期待するのも良いことではないのかもしれません。
2024年05月17日
治水と経済社会との関係を考える

現代における治水の概念は、川から水を貰ったり提供したりを繰り返しながら何度も再利用されるという水循環のシステムから、足元の降水は一滴残らず捨て、使う水は遠くから運び込み、汚して海へ捨てるという二重の「使い捨て」に変化してしまったことは、富山和子氏が著書「水の文化史」でも言及している通りなのだと思います。
ここで、考えなければならないのが「何故、このような変化を多くの人たちが望んできたのか・・・」ということです。
確かに、身近な生活の利便性ということで考えれば、どこにいても安全な水が蛇口から出てくるという状況は、今や日常生活の中で手放すことのできない生活基盤を支えるもののひとつです。
そのためには、中山間部に生活している方はまだしも、都市部に生活している人にとって、身近な河川から取水し飲料水にするということは、衛生的にも科学的にも非現実的であり、遠く上流部のきれいな水を大規模なインフラ設備を利用することで、水の恩恵を得ることが出来ているという現実もあります。
日本では、江戸時代を境に城下町というまちづくりが盛んになってきました。そして、城を中心に多くの人たちが、生活ができるようなインフラ整備が進んできたのです。
その中でも、重要視されたのは物流であり、その当時、物流の主役であったのは河川を中心とした水です。このように水運と呼ばれるモノの流れができあがることで上流部から、食料や絹や綿などの衣食住に関わるものが集まるようになり、下流部に富が形成される・・・という流れが出来上がってきたのです。
そうなってくれば、その「富」を上流からの水害から守るために・・・、という発想が大きくなってきます。
そして、明治時代に入ると新たに鉄道という物流インフラが登場し、水運がどんどんすたれてきます。さらに、鉄道の敷設に伴う建設ブームも起き、木材需要の増加とともに山林の伐採が進み治水の元である治山もままならなくなってきます。
しかしながら、下流部の富の集中と鉄道への物流インフラの転換などの理由で、世界中の治水の基本的な考えの一つである、「川の緩やかさの確保・・・」という概念はなくなり、降水を一刻も早く、海へ流すための連続堤防方式や高水工事と呼ばれる大きな転換が起きてしまったのです。
そのような、水は河川敷内に閉じ込め海まで一刻も早く流すという考え方は、明治29年の河川法制定を機に決定づけられたとされています。
利根川を例にとって考えれば、東京という大都市圏の富を守るために、経済という取引のシステムのもと中山間地域の水、土、そしてその恵みの果実である農産物をさしだすことで成り立つシステムがすでにその時代に出来上がっていたと考えることもできます。
かつての氾濫原がコンクリートで固められてしまったいま・・・、都市部には、水によって肥沃な大地をつくり上げたり、土壌によって、水を浄化するという生態系本来が持っている基本的な循環機能は破綻してしまっています。
だからこそ、その機能が残っている中山間地域からの恩恵を得るしかないのです。
このような治水の影響は、海にも影響を与えています。
下水道が発達した現在では、河川から海に流れ込む水は、「荒廃した山から流れる水・・・」に変わりつつあります。かつての栄養豊かな水が育んだ海の恵みも漁獲高の変化という直接的な影響を与えつつあるなか、漁業従事者による山林での保全活動も増えつつあります。
確かに、人々は、生活の利便性を追求していく過程で、河川との付き合い方を転換し、河川敷付近での居住も含め、多くの富を手に入れてきました。
しかし、その決断は、「人間自身が様々なものを天秤にかけながら自ら下した・・・。」という認識を、自然災害の脅威が高まりつつある今だからこそ、考える必要があるのだと思います。
2024年05月10日
治水と環境の持続可能性について考える

防災・減災という言葉があちこちで言われる中、私たちの命を水から守るという考え方は重要な位置を占めています。そして、豪雨災害や台風、さらには河川の氾濫など様々な気象現象によってもたらされる水の脅威は直接的に私たちの生活に影響を及ぼします。
日本の治水の歴史を考えた時に、代表的な治水事業は利根川の事例です。
ご存知の方もおられるかもしれませんが、そもそも利根川は太平洋へ直接注ぐ川ではなく、現在の江戸川、中川筋を流れて東京湾に注いでいました。
そのために、関東平野は、荒川、利根川 渡良瀬川などの洪水が多く起きてしまう、不毛の低湿地だったとされています。戦国の世に豊臣秀吉が徳川家康を現在の首都圏である関八州に領地替えをし、そこに封じたのも関東平野がそうした不毛の地であったからだといわれています。
現在の利根川が関東平野を横断して、銚子まで東へ向かうその流路は、江戸時代の治水の足跡であり、江戸文化の象徴とも言われています。
そもそも、森林面積の割合が大きい日本の河川には、急峻で短いという特徴があります。
それゆえに、降り注いだ雨が、一気に海まで到達してしまうのです。その一方で、雨が降らない時には枯れてしまうことも多い「暴れ川」とも言われてきました。
その「暴れ川」の両岸に位置する比較的平坦で低い土地には、洪水時に河川が氾濫して流れ出した水が浸水してしまう氾濫原と言われる地域が広がるという特徴があります。
その氾濫原であるがゆえに、そこには豊かな水資源が約束され、その一方で、氾濫原であればこその水害が宿命的ではありましたが、日本人はその暴れ川を巧みに治めて、そこに独特な文化を築きあげ、主たる土地利用を求めてきたのです。
交通や水を中心に都市問題や環境問題に取り組んできた富山和子氏は、著書「水の文化史」で、「治水」について、「日本の近代化の基盤であり、同時に現代人と自然とのつきあいかたの象徴でもあった。治水を抜きにして日本の文化は語れないが、治水を見ればその時代の文化の体質は理解できる。治水とはそれほどに重い意味をもつ。」と述べています。
古くは、治水=川を氾濫させないための護岸工事ではなく、降った雨を土に返そうとする思想であったとされています。
かつて、武田信玄が霞提で、また加藤清正が越流堤で治水に卓越した技術を用い、洪水時に水を川の外へあふれさせることで、下流を鉄砲水の被害から救ったという逸話は現代にも語り継がれています。その考え方も、降水を可能な限り土に返し、あるいは土に留めようとするものでした。現在でも豊川河口域で残っている霞堤もその考え方による治水の一つです。
水の恐ろしさは、水の量そのものではなく、水の勢いによる破壊力と、濁りと共に流れ来る土砂になります。「治水は治山にあり」という言葉があるように、かつては、治水の一環として、森林や竹やぶは、あふれ出る水の勢いを弱め、同時に土砂を渡すために山の保全が明確に重視され、遊水林、遊水地、遊水田などを配することで、急流河川を、ゆるやかにすることが人々の生活を守る行為そのものだったのです。
また、水田も治水にとっては大きな役割を果たしてきました。
水田は、降水を貯える遊水地として・・・、さらに、その水は地下水となり、やがて下流へ流れ出て川の水になります。また、川から引いた水も、やはり地下水となり、川の水となり、その水は更に下流でも使われるのです。
これが、水を使わない畑作ではなく、水田だったからこその理由があるような気がします。
このように、水は水田を通じて川から水を貰ったり提供したりを繰り返しながら何度も再利用されるという水循環のシステムそのものなのです。
今日のように都市化が進み、足元の降水は一滴残らず捨て、使う水は遠くから運び込んで汚して海へ捨てるという二重の「使い捨て」という水循環に変化していることに多くの人たちは気付いているでしょうか。
人々は、生活の利便性を追求するあまり、かつては肥沃な土の源になっていた氾濫原の土地を切り開いたり、河川の縁辺地に居住するようになり、現代における治水の概念は、水を河川敷の中に閉じ込める・・・という方向に大きく舵を切られています。
現在の中小河川の多くは、土砂の逃げ場がなく、放置することで河床に土砂が堆積してしまい、場合によっては、定期的な浚渫工事が不可欠となりつつあります。
その浚渫工事によって、もとに戻りようのない生態系の攪乱が起きている可能性があるのです。
また、水田には動植物含めて5,470もの種が存在するといわれています。
こうして、治水という視点で考えてみても、私たちの水との関わり方の変化の大きさは、生態系の持続可能性に大きな影響を与えていることを考える必要があるのかもしれません。
2024年05月03日
消滅可能性都市について考える

10年ぶりの「消滅可能性都市」の発表に多くの方が一喜一憂しているのではないでしょうか。この消滅可能性都市というのは、若年女性人口が2020年から2050年までの30年間で50%以上減少する自治体を民間有識者でつくる日本創成会議が「消滅可能性自治体」と定義したもので、2014年に次ぐ二回目の発表になります。
この発表によれば、消滅可能性都市の大きなリスクは、「人口減少による自治体の破綻」という自治体経営の視点が大きいということです。
確かに、インドや中国の現状を見れば人口というものが、経済的エンパワメントとして大きな価値を有し、国際的なパワーバランスの変化をもたらしていることも事実です。
しかしながら、人口と自治体経営の維持ということのみで社会を評価し、そのような方向性での競争を煽ることが持続可能な共生社会の実現に向かっているのでしょうか。
2024年の発表で興味深いのが、人口の増加が他地域からの人口流入に依存しており、しかも出生率が非常に低い自治体に対して、新たに「ブラックホール型自治体」と定義し発表したことです。
このような、いわゆる「人口の取り合い・・・」をすることで、自治体経営の健全化を目指すという現状の都市間競争の激化は、その先のそれぞれのウェルビーイングにつながっていくのでしょうか。
しかも、自治体の数のみで言えば少数のように見えますが、そこに関わる人口は日本全体の数割にものぼる人に関わってくる話になってきます。
ここで気になるのは、水やエネルギー、食糧などの社会資本の偏在とそれらを支える、自然と呼ばれるような環境資産の過小評価です。
水質汚染や大気汚染は、現実に起きていますが水や空気の価値を経済的に評価するようなことはあまりなく、被害は起きたときにのみ対処療法で対処することが当たり前のようになっている現状からすれば、「自然環境はただ同然の使いたい放題のもの・・・」になっているからこその評価なのではないでしょうか。
現代の科学では、自然というものが有限であることは多くの人が頭では理解しているのにも関わらず・・・。
気候変動や地球温暖化が叫ばれているなか、地震を含めた様々な自然災害によって様々な日常生活が脅かされている現実があるのにも関わらず・・・です。
多くの方がご存じのように、水やきれいな空気は山間部の森林によって育まれています。植物工場と言われるような技術もできつつありますが、多くの食糧も長い歴史の上に培われた肥沃な土によって支えられているのです。
そのような中、都市部と地方という対比の中で、経済的な投資については都市部に集中しているという現実もあり、都市部の利便性は益々向上していくのに対して、食や水のような生命維持に関する基本的な資産を地方から安価に提供するという図式は変わることなく、資本主義の名のもと当たり前のように受け入れています。
その一方で、川などの自然環境に対して法律上の人格を持たせることで、自然環境に対する持続可能性を阻害するような、事案には起訴などの法律上の対応を可能にしていくというような他国の事例も増えつつあります。
消滅可能性を持続可能性に変換していくには、現在のような「自然」を観光やレジャーのみで資産価値を評価したり、箱物と言われる構造物に対する投資と雇用の創出という従来の経済システムによる評価ではなく、人間の生活の根源を支えるかけがえのないものとしての価値を見直し、経済的な循環につながるシステムも同時に必要なのではないでしょうか。
2024年04月26日
心理的安全性の落とし穴

「心理的安全性」というキーワードは、近年多くの場面で耳にするようになってきました。その理由の一つとしては、「昭和」という言葉で揶揄されるような、古きヒエラルキーが、チームの硬直化を招き、近年における組織の衰退を招いているという考え方が大きくなってきたからなのだと思います。
チームにおける心理的安全性とは、自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態や、個人が自由に意見や感情を表現することができる環境をあらわします。
このような心理的安全性が高い環境では、個人が失敗や間違いを認め、学び、成長することが容易になり、チームワークの向上とともにイノベーションも活性化され、パフォーマンスが向上すると言われているからです。
しかしながら、この考え方についても心理的安全性を、単なる「和気あいあいとした雰囲気づくり」や「和やかな職場風土」と誤解してしまうことで、上司は厳しいフィードバックを避け、メンバー間では過度な慰め合いが進み、結果としてチーム全体の成果志向が低下してしまい、成長の機会を阻害してしまうといった状況に陥ってしまうリスクがあるということです。
ビジネスを含め多くのチームにとっては、「求められる成果」を達成していくことでそのチームの存在が維持継続していくものです。
つまり、成果を出さねばならないチームにとっての心理的安全性とは、リスクを恐れずに意見を言える状態を示すもので、決して部下や同僚を甘やかすことではないということなのです。
当然、改善して欲しいことがあっても厳しいことを言わず褒め続けたり、飲み会を開催して家族のような関係を築いたりすることでもありません。
また、「何でも言っていい・・・」という考え方も、全ての言葉や行動が容認されるという意味ではありません。
そのような状況に陥れば、時には差別的な発言や攻撃的な態度を許容するような風土になったり、それらの態度や言動によって特定の人たちの被害者意識が増長し、周りからも腫れ物に触るような扱いになっていくなど、結果として心理的な安全性が損なわれる可能性があります。
個々の自己表現の自由と他者への尊重の両方が重要なのは言うまでもありませんが、人は、「男性と女性・・・」「若者と年寄り・・・」「文系と理系・・・」など自分の都合の良い属性に何かをはめ込むことで安心する傾向があります。
そういった日常的なバイアスが、多くの場面において相手への過剰な配慮や不敬に繋がってしまっていることも現実です。
「個性は性差を越える・・・」という言葉が示すように、属性に惑わされずに一人ひとりに対してしっかりと向き合うことも大切なことの一つです。
心理的安全性がもたらす良い効果としては、メンバーが自由にアイデアや意見を出し合えることで、チーム全体の意思決定や問題解決がスムーズになりチームワークが向上することです。
また、メンバーが自分の考えやアイデアを恐れずに表明できることで、新しいアプローチや発見が生まれやすくなるという創造性とイノベーションの向上やフィードバックを受け入れる文化や建設的なコミュニケーションにつながります。
さらには、メンバー間のコミュニケーションが円滑になり、感情や意見を自由に表現できるため、ミスや誤解が少なくなるというコミュニケーションの質の向上にもつながるのです。
このような効果だけであれば、心理的安全性が高いほどいいということになるのですが、いっぽうで、高すぎることによるデメリットも指摘されています。
一つ目は、合意形成をしていく上で「周りの意見の尊重・・・」という思考のもと、自身の意見に対して、異なる視点からの議論が抑制され、チーム内での多様性が損なわれる可能性です。
二つ目は、「失敗やミスを恐れずに・・・」という考えのもとで、自身の責任を回避する傾向についても懸念されています。結果に対する責任回避の思考は問題解決や成長の妨げにもつながってしまいます。
このような状況を繰り返してしまうことで、挑戦的な状況や意見に直面する場面が少なくなるために個人やチームの成長が停滞することについての懸念も指摘されています。
つまり、心理的安全性には全ての意見や感情を尊重する一方で、差別的な発言や攻撃的な態度についても、お互いに配慮したり、指摘し合うなどの双方向性を意識した上でのバランスが大切であると同時に、成果を意識することなく形のみにこだわってしまうことが、チームのメンバー各々の自己改善の機会を奪い全体のパフォーマンス低下につながることを忘れてはならないのです。
「あたたかさ」と「厳しさ」という相矛盾するふたつの要素のバランスこそが、求められる姿なのだと思います。
2024年04月19日
ストレスとコルチゾール

健康経営という考え方が一般的にも認知されるようになり、企業などにおいても働く人の健康に対して具体的な取り組みをすることも多くなりつつあります。その中でも、重要視されているキーワードがストレスと睡眠です。
そもそも、日本では、「寝ずに頑張る・・・」や「寝酒・・・」という言葉が、違和感なく受け入れられてしまうように、睡眠に対して軽んずるような文化があるとされていますが、その文化も次第に変わりつつあります。
そのような中、注目されているのが「ストレスホルモン」とも呼ばれているコルチゾールという物質です。
ストレスホルモンと言われる理由は、コルチゾールが身体にストレスを受けると、ストレスから身を守ろうとして急激に分泌が増える副腎皮質から分泌される抗ストレスホルモンであり、元気を出す免疫抑制ホルモンの一種ということからです。
特徴的なのは、コルチゾールの分泌は視床下部-脳下垂体-副腎皮質の間にあるフィードバック機構によって制御されており、朝には起床や一日の生活のスタートのために多く分泌されますが、夜には睡眠のために早朝値の半分以下の値に減少するというような日内変動があることが知られています。
ストレスなどで、コルチゾールの作用が過剰になると、体重が増えたり、顔が丸くなったり、血糖値や血圧が高くなったりという症状を引き起こすこともあり、「クッシング症候群」と言われています。
また、低すぎても疲労感、 全身倦怠感 、脱力感、筋力低下、体重減少、低血圧などがみられることが知られており、 食欲不振、 悪心 ・嘔吐、下痢などの消化器症状、無気力、不安、うつなどのメンタルヘルスにも関係してくる可能性もあるようです。
また、自閉症児に対するコルチゾールの日内変動に関する研究報告では、健常な小児と比較した結果、日内変動の乱れが認められるケースも多く、脳の視床下部-下垂体-更に副腎皮質系の機能異常との関係も示唆されています。
身体のあらゆる機能の一つに恒常性というものがあると考えられています。この恒常性とは「本来の正常な姿に戻そうとする力」が生物のあらゆる機能の中に備わっているということです。
抗ストレスホルモンであるコルチゾールも、この恒常性に対する役割を担っているのだとすれば、日常的なストレスによる過剰分泌は、冷蔵庫の扉を開けっ放しにしているようなものと考えることが出来るのかもしれません。
多くの方がお判りかと思いますが、冷蔵庫を開けっ放しにすれば冷却装置は当然のようにフル稼働になりますし、故障の原因となる事は想像に難くありません。
その機能があるから良い・・・ということではなく、その機能が起動する原因を取り除くことをしていかないことには、本体が壊れてしまう・・・ということです。
そもそも、身体の適応能力は優れており、身体自身が普通を勘違いしてしまうことで本来の機能が損なわれることがあることも知っておく必要があります。
ストレスホルモンと言われるコルチゾールも、起床とともに多くの量を分泌し、就寝時には抑えられるという、日内の変動サイクルを維持することはメンタルヘルスにとっても有効なことであると同時に、ストレスがかかり続けることのリスクについても意識しておく必要があります。
そもそも、不安、緊張、興奮という精神的なストレスは、生理学的にもNK細胞の活性低下やEBウイルス抗体価の上昇を示したりすることが報告されていますので、思考の癖も含めたメンタルヘルスへの負荷の軽減はプライベートライフのみならず日常的に意識することが大切になって来ているのだと思います。
2024年04月12日
笑顔と創造性を考える

ヒトの顔は、他の霊長類と比較すると気持ちが伝わり易くなるよう進化をしていると言われています。その中でも特徴的なのは、眉毛と目です。
眉毛は、霊長類では顔と体毛との境界であったものがヒトのみが残ったことや、目についても、弱肉強食と言われる野生の世界では視線が相手にわかることがリスクになっていたが、ヒトは社会性を育むために視線を含めた目の表情が、非言語的コミュニケーションとしての大きな役割を果たしているために、目の輪郭や白目と言われる眼球に色素の無い部分が大きくなっていると考えられています。
また、人面魚という言葉がありますが、認知科学の世界ではたまたまできた形がヒトの顔に見えるパレイドリア現象と言われるものがあるようにヒトの「顔」に対する関心の高さもうかがえます。
大阪大学脳情報通信融合研究センターの中野珠実教授によりますと、「人間は、顔に興味を持つように出来ている、特に自分の顔には高い関心がある・・・」としています。
実際に、自分の顔と他人の顔に対する脳の反応の違いを計測したところ、自分の顔の方が脳の側坐核の活動が活発になり、その結果、報酬系の伝達物質と言われるドーパミンが放出されていることが解ってきました。
更に、顔加工アプリを利用して、ちょうど良いと感じる加工度合いを自分と他の人とで比較した結果、自分の顔は、他人の顔よりも強い加工を好む傾向があり、脳ではドーパミンの作用によって、自分が変わることでその変化に対する行動が強化されるという指摘もあります。
このような傾向は、自分に対してのみ現われるために、逆に言えば、自分の変化に対する高揚は自分だけで、周りは冷ややか・・・に感じていることも知っておく必要があります。
このドーパミンによる作用ですが、行き過ぎた加工に対して、「不気味の谷現象」と呼ばれる不自然なものに対する抑制を恐怖や不安を司る偏桃体がコントロールをしており、側坐核と偏桃体のバランスによって保たれているのです。
これらの事から、人は顔に対して思っている以上に関心を抱いており、且つ、自分自身の顔に対してはドーパミンの作用によってバイアスがかかっているということを知っておく必要があります。
そもそも、人間は社会的動物であると言われているように、「どう見えるか・・・」以上に、「どう見えているか・・・」という、自分自身の見え方がコミュニケーションについても大きく影響していることは、非言語コミュニケーションという概念からもお分かりかと思います。
東京大学先端科学技術研究センター客員上級研究員の吉田成朗氏によりますと、テクノロジーによって加工された表情の違いによる人間の行動に対する影響に関する実験を行った結果、顔の表情が行動変容や創造力にも影響を与える可能性についての指摘がなされています。
具体的には、洋服の試着などの時にも、そのモノよりも自身の表情が選択に大きな影響を与えることや、リモート会議でのミーティングでは、お互いの顔を笑顔に加工することによって、アイディアの数が1.5倍になったという結果もあることからすれば、「笑顔」の効果は思っている以上に効果があると考える必要がありそうです。
このような、笑顔と創造性との関係については、笑顔を見ることで、「自分が受け入れられている・・・」という安心感から発想が豊かになるのでは・・・と考えられています。
この安心感については、心理的安全性とも呼ばれチームビルディングの分野でも重要視されています。
表情フィードバックという考え方がありますように、「表情に表すのが苦手とか、いつも怒っているように思われている・・・」と悩んでるかたも多いかもしれませんが、あえて「笑顔」をつくってみることも、外見が変わっていく事で、周りへの良い影響も含めて自身の行動変容につながるのかもしれません。
2024年04月05日
睡眠とアルコールの関係をあらためて考える

睡眠の悩みに対して、世界の先進国、新興国10カ国の「眠れないときにどうするか」について、「医師を受診」「カフェインを控える」「アルコールを飲む」「睡眠薬」の4つの選択による調査を行った結果、中国と日本以外は「医師に相談する」がトップなのに対して、日本のみが圧倒的に「アルコールを飲む」という回答が多いという結果になったそうです。
「医師を受診」がトップでなかった中国においても、睡眠薬とカフェインを控えるの二つが多く、「アルコールを飲む」という選択は、日本以外の全ての国で一番少ないという結果になっています。
この日本特有の睡眠不足に対する選択は、教育水準の高さに反して、日本人の睡眠軽視、寝不足自慢、酒に対する寛容さ、という文化的要素が大きいことと同時に、「眠れない・・・」という状況に対して、アルコールという発想が一番に来るということからすれば、睡眠とアルコールとの関係についての認識が他の国と根本的に異なるという可能性も考えなければならないかもしれません。
前回も説明しましたように、摂取したアルコールが分解される過程で生成されるアセトアルデヒドが交感神経を刺激するために、身体が覚醒の方向に向かってしまい、「身体は休んでいても、脳は活発に動いている状態」になり、眠りが浅くなってしまうということだけでなく、覚醒後の影響も近年の研究では明らかになりつつあります。
その大きなキーワードとなるのが「不安」です。
多くの人がお酒を飲む理由として言われているのが、社会的な不安を鎮めることに大きく関係している考えられています。
これは、アルコールが、神経伝達物質であるGABA(γ-アミノ酪酸)の働きに干渉することが知られており、アルコールが普段はGABAが結合する脳内のタンパク質(受容体)と結びつくことによって、中枢神経系の鎮静や睡眠、リラクゼーションにつながるために、「これが、飲酒をしたときに人々がリラックスしたり、抑制から解放されたり、とめどなく湧いてくる(ネガティブな)思考が減ったりする理由です」と、米エール大学医学部教授で、エール・ニューヘイブン病院依存症回復クリニック所長のスティーブン・ホルト氏が述べています。
そして、アルコールによってGABAの作用が強められる一方で、体内で自然に作られるGABAの量は減り始めてしまいます。そして、GABAが作られる量が通常のレベルに戻る前にアルコールが抜けてしまうと、、以前に抱いていた「不安」が強度を増してよみがえってくることがあるというのです。
また、英インペリアル・カレッジ・ロンドンの神経精神薬理学者デビッド・ナット氏は、「どんな酒であれ、飲んだ人の大半は、アルコールが抜ける際、脳に変調をきたします。少量の飲酒であれば混乱を覚える程度ですが、量が多い場合は不安が起こることがあります」とも述べています。
さらに、興奮性の神経伝達物質のグルタミン酸も、不安を高める働きがあるとされていますが、アルコールによって抑制性のGABAの作用が強められると、脳内のグルタミン酸による神経伝達の影響が弱まります。これを埋め合わせるために、脳は追加でグルタミン酸受容体を徐々に増やすようになるために不安が高まるというのです。
二日酔いの症状として不安が現れる人は、慢性的に不安が続く「全般性不安障害」を抱えている可能性があるとされています。また、米ペンシルベニア大学精神科依存症治療センター長のエドウィン・キム氏によると、飲酒後の不安は、過剰な心配というよりもイラつきとして感じられる人もいるとしています。
そして、症状を軽くしようとして自己判断で飲酒すると、不安は覆い隠されるものの、アルコールが体から抜けると根底にある不安が強くなるという悪循環にもつながり、メンタルヘルスの不調につながる可能性もあります。
日本では、「寝酒」や「晩酌」という言葉が一般的になっています。そのような飲酒を楽しみにすることを肯定的にとらえるかたも多いかもしれませんが、アルコールによる睡眠への影響をのみならず、「不安」というメンタルヘルスへの悪影響にもつながる可能性があるということを理解したうえで上手な付き合い方をしていくことが大切です。